Turning Fate/The end for beginning



episode-01
〜謳歌日常〜


◆    ◆    ◆





「まさか、こんな事で綺礼の世話になるなんてね。あいつが生きてた頃は思いもよらなかったわ」
 書物とは知識の泉である。が、魔術師にとってはそれ以上の意味を持つことも少なくはない。
 例えば、契約、盟約の類。その約定として存在する意味合いの書。これは、主に自分の身一つでは成せないレベルの儀式に使用される場合が多い。書物というのはありふれているようで、これでなかなか霊格の高いアイテムなのだ。殊に古来より法を司る象徴とされてきただけあって、律束においては非常に効率がよい。
 宝石ほどの効果は望めないが、魔力を封入しておくことも可能だ。もっとも、こちらの場合魔力封入はオマケ程度で、知識封入がメインなのだが。
『書物とは知識の泉である』
 このイメージこそが、書を知識封入のための魔術道具にもっとも適した物にしている。
 身体に収まりきらない、もしくは収めるまでもない英知は書のカタチを取り、秘儀として保管され、必要な時に手に取れば呪文一つで引き出す事が可能になる。
「わたしだって、こうしてあいつの世話にならなきゃならないなんてユーウツよ」
 魔術による生命探求、心霊医術、錬金術――それらの暗部。外道、外法の類。
 血筋のものではなく、借り物の魔術刻印しか持たなかった言峰綺礼という男が、遠坂の業によってその魔術の奥義を宝石や書物にある程度変換封入しているであろう事は予想がついていた。さらには、それらの道具を違法に収集していたのではないか、とも。
 足りなければ、補えばよい。
 当たり前の考え方である。教会、協会の禁則事項に触れるような道具でも、あの男なら何の躊躇もなく手を出していただろう。
 もっとも、そのおかげでこの半年の間に大分術式は進んだのだから、感謝せねばならないが。
「……よし、出来た。じゃ、いくわよイリヤ。いつものように痛みをイメージして。痛すぎるようなら言ってね」
「言えばやめてくれるの?」
「そんなわけないじゃない」
 自分の腹部へと手をあてている、「何言ってるの?」とでも言いたげな遠坂凛の顔をゲンナリと見やり、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンは直後訪れるであろう苦痛をイメージした。
「……ヒ、グッ!!」
 身体の中が掻き回されていく、何とも奇妙な感覚。
 長らく定着していた物を無理矢理に引き剥がされ、次々と異物が混入されていくのがわかる。
 他人の指。
 よく見知った人物のソレが、己の身体を蹂躙し、弄ぶ。
 臓腑をかき分け、骨格をなぞり、奥へ、奥へと進入してくるソレは、純粋な痛みではない。が、痛みとしてイメージしなければならないものだ。
『身体の中に他人の指が進入してきたら、それは痛いに決まっている』
 こう考えなければ、所詮は借り物の力による素人同然の心霊医術。下手に同調したが最後、凛の腕とイリヤの腹部は繋がってしまう可能性もある。故に、痛みであると認識しなければならない。ソレはあくまで他人のモノに過ぎず、けして己の肉とは相容れないモノなのだ、と。
 それでいて、身体の中で組み替えられていくモノは今後自分の一部になるのだ、とも意識しなければならないのは、大変な重労働だった。そのため、残された時間がどんなに少なくても日々決まった量しか施術出来ない。術式と言うよりは苦行に近いそれを続けること約半年。
 聖杯と、マスターになるためだけに生み出されたホムンクルス――イリヤスフィール・フォン・アインツベルンを延命させるための措置。
 一度は聖杯となりかけた身。生命力に問題はないし、魔力は元より桁違いに高い。
 あとは身体の要所に埋め込まれた悪性の部品を、真っ当な部品へと交換してやるだけ……と、口で言うのは簡単だが、イリヤの身体はアインツベルン一千年の秘儀の固まりである。それも、単一目的のために特化されたホムンクルスだ。天才・遠坂凛が、遠坂家の秘奥をあさり、イリヤに蓄積された知識を頼り、言峰の遺した外道の力を借り……ようやく、少しずつ進む歩み。
 冬木市を舞台に行われた五度目の聖杯戦争の後、凛とイリヤは、こうして連日のように遠坂邸二階にある凛の部屋で限界への挑戦を繰り広げてきた。
 ……聞けば必ず首を突っ込んで来るであろう正義の味方志望には内緒で。
 その甲斐あってか、なんとかイリヤの身体は人間としての天寿を全う出来るくらいに改良が済もうとしている。あとは細やかな部分の交換、接続、そして安定するまでの微調整を残すのみだ。
 手探りの作業でここまでこれたのも、二人の弛まぬ努力と天賦の才、そして忍耐があったからこそ。
「今度ばかりは、ここ一番でポカするわけにもいかなかったものね……ん、しょ……っと。もう良いわよ、イリヤ」
 イリヤの腹部へと進入していた凛の細い白磁の如き指が、音もなく引き抜かれる。遊離する最後の瞬間、ビクン、と体を震わせてから、イリヤはゆっくりと目を開けた。
「……う〜。いつものことながら、リンの指、キモチワルイ……」
「アンタ、何気に失礼ね」
 顔は笑っているが目が笑っていない。
 彼女達がよく知る朴念仁をはじめ、通常の人間はどんなに鈍かろうと、この笑顔を見た途端に生存本能が警鐘を鳴らすのである……が――
「そんなこと言ったってキモチワルイんだもの。リンの指ったら宝石臭いのよ、なのにビンボーショーがうつりそうだし。そんな変な矛盾内包した指で弄くられ続けてたら、わたしまでおかしな矛盾内包存在になっちゃうわ」
 ここに例外は存在した。共に唯我独尊な思考の持ち主。その程度の威嚇牽制が、果たして如何ほどの意味を成そうか。
 ……とは言え……
「……あんま冗談ばっかり言ってると意識操作形の呪具放り込むわよ?」
「……ゴメンナサイ」
 所詮はまな板の上の鯉。抵抗する術など、残されてはいないわけだが。



 戦いが終わり、藤村家(実際には衛宮邸に入り浸っているわけだが)に引き取られた当初、イリヤは自分の生を諦めていた。
 一時的に聖杯と化したことで生命力自体は増加。本来なら聖杯戦争終了とほぼ同時に、たとえ聖杯となれずとも寿命が尽きるだろうと言われていた自分に数ヶ月分の余命が付いただけでも儲けもの――とさえ思ったものだ。
 シロウも、リンも、サクラも、タイガも、みんな強い人達だ。だから、自分はいつ死んでも大丈夫だ、と、イリヤはそう楽観的に考えていた。元より生に対する執着が薄いのは、そのように造られてしまったせいなのだから、仕方がない。
 近い内に自分に訪れるであろう確実な死を、怖れもなく、まるで他人事のように彼女は捉えていた。

 ――しかし、イリヤは見てしまった。
 何処をどう見るともなく、晩冬の夜空……その向こうに在るであろう全て遠き理想郷を、悲哀のこもった瞳で見つめ続ける、衛宮士郎の姿を――

 イリヤは、絶対的な経験不足から、人としての感情を知識として認識することにまだ疎い。しかし、その分感覚的には鋭敏な彼女に、士郎の悲しみがわからないはずがない。大切な人を失う痛みが、わからないイリヤではないのだ。
 ……それなのに、彼の笑顔に騙されていた。もう振り切った、初めから後悔なんてしていない、と……あまりにも見事に、彼は周囲を騙しおおせていたのだ。
 彼とセイバーの別れが果たしてどんなものだったのか、イリヤは知らない。また、知りたいとも思わない。自分にはバーサーカーとの別れの記憶がある。それでいい。彼らの別れがどうあれ、自分には自分の別れの記憶がある。
 だが、時に心の痛みに涙し、周囲に気を遣わせてしまっている自分と比べ、士郎は真実強いのだと……もう乗り越えてしまったのだと信じ込まされていたことが、無性に悔しく、また悲しかった。
 そして、そう考えた途端、イリヤは死ぬわけにはいかないと思った。自分という存在が消えてしまうことが怖くなったのではない。ただ、自分の死後、士郎があんな瞳をする……それが嫌だと思ったのだ。
 翌日、イリヤは凛に自分の延命措置、肉体改造を頼み込んだ。
 これ以上、士郎に悲しい思い出は要らない。自分が彼の悲しい思い出になってはいけない。
 血の繋がらない、けれど唯一の家族。兄であり弟でもある彼のために、イリヤは命を懸けることを誓った。
 その悲壮な決意を無碍にする凛ではない。ただ一言、『いいのね?』と訊ねる彼女に、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンは笑顔で頷いた。



「まったく……それにしたってよくもまぁここまでこれたものだわ。やっぱりわたしって天才よね」
 玉のような汗を額にいくつも滲ませながら、凛はこの半年のことに思いを馳せた。
 正直、保たせられても1〜2年。それだとて奇跡に縋るようなものだと何度も挫折しそうになりながら、されど折れずに、手探りの半年。
 神経と魔術回路が焼き切れるのじゃないかというくらい集中し、専門外の業を連日行使し続けるのは、術者にとっても危険極まりない行為であった。避けられる危険は避けるし、成功率の低い賭けには手を出さない……そう心懸けてきたはずなのに、どうしてこんな危険な真似を、と何度疑問に思ったことか。
 だが、その答えは実に単純だった。
 なんのことはない。悲しみたくはなかったし、悲しませたくもなかったのだ。
 これまでの半生、常々遠坂の魔術師として自分を律してきたつもりだったが、衛宮邸のあまりの居心地の良さに、いつの間にかあてられていたらしい。あの家に蔓延するお人好しが伝染ってしまった自分にとって、イリヤとの別れは容易く看過出来ることではなくなっていた……それだけのこと。殊に、あの半人前の投影魔術使いと、名字の違う実妹の涙はこたえる。二人とも、涙を流さずに泣くのがとても上手だから。



「さて、と。今日で大掛かりな術式はほとんどお終いよ、イリヤ。今のままでも、日常生活だけなら何の支障もないわ。……もっとも、今後も魔術師として生きるって言うのならまだ改良の必要はあるけど、ね」
 元々が通常の魔術師が持つ魔術回路とは全く別の理論体系で組まれた回路だ。今後、通常の魔術を行使するには、組み替えてしまった魔術回路をイリヤに沿ったものに調整しつつ、ほとんど最初から魔術の修行をやり直さなければならない。
「むー。ということはまだしばらくリンのそのイヤらしい指使いからは逃げられないってワケね」
 思案の間もなく、当たり前のように答えるイリヤ。凛もそんなことはわかっていたらしく、既に翌日からの術式に必要なものをあさり始めている。
「わかってると思うけど、わたしが良いって言うまでどんなに簡単な魔術だろうと使っちゃ駄目よ? と言うより、今まで通り魔力の発動自体禁止。まだこの辺は聖杯の残留魔力濃度が高すぎるんだから、元聖杯のアンタの魔力に反応して何が起こるか、わかったもんじゃないもの」
「あー……うん。わかってる」
 忙しなく動き回っている凛に相槌を打ちながら、イリヤは窓の外に視線を移した。
 聖杯の残留魔力……本来なら、それは徐々に拡散して、この冬木の土地全体に染み込んでいかなければならないはずのもの。だと言うのに、半年経っても一向に薄れる気配がない。柳洞寺は、あの毒壺のような悪意こそ感じられないが、純粋な魔力がいまだに渦巻いたままだ。
 この土地は元々魔力濃度が高い。住民達もある程度魔力慣れしているため、ほとんどの人間は気付いてやしないだろう。
 だが、この状況は異常すぎる。

 ――リンも、当然シロウも、まだ気付いてはいない。気付いているのは……否、これに気付けたのは、きっと自分ともう一人だけだ――

 イリヤはそう確信していた。
 だから、一日も早く魔術を使えるようにしておかなければならない。
「……」
 空は曇天。
 昨日までの真夏の晴天が嘘か幻であったかのようなそれは、イリヤの不安を具現しているかのようであった。



◆    ◆    ◆




「それじゃ、そろそろ帰るね」
 時刻は午後の四時過ぎ。ブルーベリージャムと生クリームをたっぷり加えたロシアンティーを飲み終えたイリヤが、ゆっくりと席を立つ。しかし、どこか足下が覚束無い。
「あら、もうちょっと休んでっていった方がいいわよ。今日はいつもより疲れたんじゃない?」
 砂糖やミルクなどの不純物ゼロ。ストレートのダージリンティーをおかわりしながら、凛はイリヤを引き止めた。今日の術式は体力的にも相当疲労がたまったろうし、何より足腰にきたはずだ。実年齢はいまいち不詳だが、ともあれ見た目童女である彼女をふらつかせながら帰すわけにもいかない。
「でも、今日はサクラにお料理を習う約束があるのよ。それに早く帰らないと飢えたタイガが何を食べ始めるかわかったもんじゃないわ」
「う……それは確かに」
 飢えた藤村大河は本能のままに冷蔵庫その他をあさり始めるので手に負えない。そうなったが最後、衛宮家食事当番各員が立てた数日分の献立は全て無に帰すことになるのだ。
「リンだって、シロウをタイガに食べられたくはないでしょ?」
「ぶっ!!」
 思わず、噴いた。
 このお子さまは時にとんでもないことを口にするので困る。
 ――空腹の野獣に蹂躙される少年。野獣は食欲と肉欲の赴くままに思う様彼をなぶり、愉悦に浸る。懇願と困惑。堰を切る快楽。少年も本能に抗うことは出来なくなり、やがて二人の意識は全て遠き桃源郷へと――
 ……その姿を想像してしまったのか、頬を染めて俯く凛を、イリヤはニヤニヤと見下ろした。
「どうしたの、リン? もしかして、この部屋エアコン効きが薄いのかしら。なんだか熱そうよ? そんなに赤くなっちゃって」
「う、うっさいわねぇ! しょうがないでしょ、夏なんだから!」
「ふーん。リンは夏だと室温に関係なく勝手に茹で上がっちゃうんだ。あ、じゃあもしかしてナントカがよくひく夏風邪ってやつ? 気をつけた方がいいわよ〜リン。もしかしてお腹出して寝たりしてない? 慎みのない女は駄目ね。モテないわよ。行き遅れるわ」
「……アンタ、日に日に性根がねじ曲がっていってるわね……間違いなく」
 もっとも、士郎に言わせればイリヤの性格に一番悪影響を与えているのは凛なのだが、当人達は全くそんなことは自覚していない。かといって、自覚さえあれば防げたかと言われれば、それもないだろう。イリヤにはまず確実に類い希なき悪魔ッ子としての素養がある。
「ま、いいわ。それだけ減らず口がたたけるようならもう大丈夫でしょ。夕飯の用意よろしく。わたしも六時半頃には行くわ」
「ふっふっふ……楽しみにしててね。今日こそ思い知らせてあげるから」
 ちなみに、衛宮邸の夕餉の卓に凛がいることは珍しくない。と言うより、ほぼ毎日だ。
 現在の衛宮邸の食卓は、朝は士郎、大河、桜、イリヤ。晩はそこに凛が加わるのが常となっている。最初は、それこそいつの間にか有耶無耶の内に加わっていたのだが、今では月に一万円ほど食費も納めているあたり、完全な確信犯だ。
 料理当番は大河を除いた四人によるローテーション制。士郎と桜は主に和食担当、凛は他に誰もやらないので中華系、日々此料理修行真っ最中のイリヤは欧風である。
 前回、誰からの協力も拒み、独りでブイヤベースに自信満々挑戦したイリヤであったが、結果は凛に言わせれば中の下程度。その挙げ句、『可もなく不可もない程度の腕前でこの衛宮邸の台所に一人立つなど、片腹痛いわね。未熟者は未熟者らしく、半永久的に玉葱の皮でも剥いてなさい。……フッ』と言い放ってイリヤを半泣きさせる始末。この二人、仲が良い分お互いに容赦がない。
 ……もっとも、その意地の張り合いのおかげでイリヤの調理スキルが爆発的な伸びを見せているあたり、結果オーライなのだが。
「今日のわたしはいわばサクラという希有なマスターを得て大波に乗ったサーヴァント! 全能力値に+1ずつ! 限界以上の能力でもってリンの舌など容易く屈服させてみせるわ」
「あーはいはい。期待してるからせめてランクB以上の味お願いね」
「ムキーッ! フンッだ! 覚えてなさいよ!」
 バタンッ、と力の限りにドアを叩き閉め、鼻息荒く帰っていく少女の姿は、平穏そのものだ。そこには半年前の凄惨な殺し合いなど見る影もない。
 天下太平、世は全てこともなし。
 自分が斯様な日々を謳歌できるのも……
「貴方のおかげね、アーチャー」
 椅子に深く掛け直し、彼の煎れ方を朧気な記憶をたよりに真似てみる。それでも、やはりどこか違う紅茶を啜りながら……凛は誰にともなく呟いた。
 今はもういない自らの英霊――いや、いないと言うと語弊があるかも知れない。彼は確かに今もいる。ただ、今の彼はまだ彼ではない。
 確証はないが、自分の考えは的を射ているはずだ。
 彼が自分たちを守って消えてから気付くなど、なんて陳腐。彼は、最初から最後まで彼でしかなかったというのに。

 ――逢いたい――

 時折胸を締め付けるこの一片の想いが、果たしてどちらの彼へと向けられたものなのか、凛にはわからない。
 だが、この想いを抱くとき、決まってもう一人、自分の胸に去来する人物がいる。
 彼女のことを、自分達はけして忘れることはないだろう。そして、彼女を忘れない限り、この想いが恋慕へと長ずることはない。
「恋敵になるまでもなく、勝ち逃げされちゃ……ね」
 勝負にさえなりえないなら、その隙間を狙うなど許されない。それは、遠坂凛の矜持。
 飲み干され、空になったティーカップをそっとテーブルへ戻す。
「……さて、と。さっさと明日の準備をして、出かけようかしらね」
 空は曇天。
 このままでは一雨来そうだ。出来れば降り出す前に衛宮邸についてしまいたいところだと考えながら、凛は準備を進めることにした。






〜to be Continued〜






Back to Top