Turning Fate/The end for beginning
episode-04
〜食卓賛歌〜
衛宮士郎はだれていた。 そも、本人は頑なに否定しているが、厨房に立つことは彼にとって責務である以上に何よりの楽しみであった。 学校が終われば修行とバイトに明け暮れる日々。夏休み中の今などはそれこそ暇さえあれば修行に従事している。 そんな士郎にとって、朝にチラシを見ながら晩の献立を考え、実際に商店街に足を運んでみてから改めて食材を吟味し、これまでの経験を生かしつつも常に新しい味への探求と挑戦を怠らずに調理に没頭することは、数少ない趣味娯楽であったのだ。 ……なのに、半年前からその楽しみの大半を奪われてしまった。 「……虚しい」 「? なんか言った、士郎?」 「駄目よー。今お姉ちゃんと遠坂さんがテレビ見てるんだから。見たい番組あるなら録画して後で見なさい」 別に他に見たい番組があるわけではない。今二人が見ている『藤岡弘探検隊』だって充分におもしろい。 いくら暑いからと言って、Tシャツ短パン姿で惜しげもなくその御脚を晒している凛と大河を見ているよりは、藤岡弘の暑苦しい顔&演技を見ていた方がよっぽど健全だと士郎は思っている。……男としてはある意味不健全かも知れないが。 大体、自分が四日に一度しか厨房に立てない事以上に何が不満かと言えば、最近この家の女性陣の恥じらいが目に見えて薄れてきていることだ。いかに例年と比べ酷い猛暑だとは言え、これは衛宮家の当主として見過ごすわけにはいかない。見れないけど。 既に本性を隠す気など更々無い凛が、短パン姿で胡座をかきつつ、夕飯前だというのに煎餅をバリバリつまんでいるのは、これはまぁ仕方のないことだし、諦めもつく。今や遙か昔にすら感じられる『学園のアイドル・遠坂凛』に憧れていた頃の士郎であったならば、あまりのことに魔術回路が暴走、爆死していたかも知れないが、本性をさらけ出した彼女と過ごすこと半年。嫌でも慣れた。 大河に関しては、もはや何もかも考えることすら億劫だ。目の前で両脚を投げ出し、シャツの胸元を思いっきりひろげながら「あっついわねぇ〜」とか言って手をパタパタさせている自称保護者に対し、果たしてどんなかけるべき言葉があろう。 そう、問題なのは彼女達二人ではない。 問題なのは、現在厨房にて夕飯の準備をしている二人だ。 そもそも、何故にイリヤはブルマなど履いているのだろう? 衛宮ファミリーに少女が加わって半年、気がつけば彼女の部屋着は体操服とブルマになっていた。 犯人が誰かはわかりきっている。……虎だ。あの虎は、少女が世情に疎いのをいいことにその服装に関してはやりたい放題。挙げ句、口喧嘩で負けるたびにどうでもいいホラばかり教えるのだからタチが悪い。 そして、士郎にとっては最後の希望……いや、それどころか日本に残された数少ない大和撫子の一人だろうと信じて疑わなかった桜ですらが、流石に凛や大河ほどではないにしろ、最近は平気な顔をして上は薄手のTシャツ下はハーフパンツ姿でいることが士郎の暗澹たる気分に拍車をかけた。 今の衛宮邸は扇情的すぎる。 友人である柳洞一成ほどではないにしろ、士郎の貞操観念は非常に固い。彼の中の常識としては、女性はもっと慎ましやかでなければならないのである。今の衛宮邸は、そんな士郎の価値基準からすれば異世界も同然なのだ。 以前、控え目ながらもその旨を凛に伝えたところ、『うちみたいな洋館なら兎も角、純日本家屋での真夏の過ごし方って言ったらこんなものじゃない?』などという返事が返ってきた。 間違っている。その認識は激しく間違っている。間違っているのだが……何故か何も言い返すことが出来なかった。 故に、今の彼に出来ることと言えば、今この場にいるどの女性よりも奥ゆかしかった愛おしい少女の面影を胸に抱きつつ、ひたすら己が煩悩と闘うことのみ。 「色即是空……空即是色……喝ッ!」 「……ちょっと衛宮くん、うるさいわよ?」 ……合掌。
「イリヤ、あなたはどう思う?」 「ゾウケンね。間違いないわ」 目的語のない凛の問いかけに、イリヤは何でもないことのようにさらっと答えを口にした。無論、凛としても答えなどわかりきっている。この質問は、単に確認のためにしただけの形式的なものに過ぎない。 衛宮邸の離れに幾つかある客間。その中でも、この部屋は半年前の聖杯戦争以来頻繁に宿泊する凛の部屋となりかけていた。もっとも、数日分の着替えも常備してあるあたり、なりかけどころの話ではないのかも知れないが。 『なんだか疲れちゃったし、今夜は泊まっていくわ』 『あ、リンが泊まるならわたしも泊まるー!』 二人がこんな事を言い出すのも今に始まったことではなく、別に珍しくも何ともない。以前は保護者として断固自分も一緒の時でなければ駄目だと言い張っていた大河も、最近では家族意識が強まってきたためか特に何も言わなくなった。 これは男としての士郎が女性陣に完璧に舐められているからだとか、そう言うわけではない。……はずである。 ちなみに、夏休みとは言え弓道部は当然の如く活動しているため、桜は滅多なことでは泊まってはいかない。一晩中女の子同士の話に花を咲かせた後に部活では、体が保たないからだ。そのことに加えて、ニュースの際に士郎と桜が洗い物をしていたのは凛とイリヤにとっては好都合だった。 今回の問題にあの二人を関わらせると、色々と厄介なことになりかねない。士郎はあくまで桜側の事情は知らないのだし、今後も知られるわけにはいかないのだから当然として、桜にしてみても、凛の入念なチェックの結果意識や身体を乗っ取られる系統の蟲を寄生させられたりはしていないようだったが、それとて専門ではないのだから確たる自信があるわけではない。実際に臓硯を前にした時、桜に何が起こるかはわからないのだ。 ああいった類の事件だし、どんなに誤魔化そうともすぐに気付かれてしまう事は明白だが、こうして予め二人っきりで対策を練る時間を持てただけでも幸運だったと言えるだろう。 「それにしても、どうして今頃になってあんなわかりやすい証拠を現場に残したのだか……」 死体は欠片も残さずに、血液や衣類だけをわざわざ残すようなおそらくは食事であろう行為。そのあまりにも中途半端なやり口は、隠そうと思えば全て隠せる者が敢えて作為的にそう残したメッセージだ。今の冬木市で、そんなことをする奴は一人しかいない。 「宣戦布告でしょうね。頭まで蟲に成り下がっちゃったヨーカイジジイの考えそうなことよ。最近は監視用の蟲もあからさまに飛ばしてたし」 間桐臓硯――五百年の時を生き長らえてきたこの大魔術師の動向を、アインツベルンは常に注意深く監視してきた。聖杯戦争においては、ある意味他のどんなマスターやサーヴァントよりも気をつけなければならない存在として。 しかし、五百年だ。五百年もただ生き延びるためだけに生き延びてきた、そんな男である。そのあざとさ、周到さ、綿密さ緻密さは計り知れない。時の流れの果て、いかに脳が、魂が摩耗しようとも、彼は生き延びることに関してだけは常に超一級の大魔術師なのだ。 しかも、ここ数十年は完全に引き籠もってしまっていたため、アインツベルンとしても正確な動向を把握できていたわけではない。加えて言うなら、もしこの半年の間に何か判明していたとしても、本人の思惑はどうあれ今やアインツベルンを離反したも同然のイリヤにはそれを知る術がない。 「あいつにはきっと今までにない自信があるのよ。で、多分その自信は今のこの冬木市の異常な魔力濃度からきてる」 「でも、確かに魔力濃度の高さだけで言うなら聖杯戦争直前くらいまで高まってはいるけど、まだそれが大聖杯の方に集束されきってるわけじゃないでしょ? どんなに少なくともあと数ヶ月……いいえ、半年は必要なはずよ」 凛のその見立ては正しい。いかに土地全体に魔力が満ちていようとも、それらの魔力が大聖杯へと集束、吸収され、サーヴァント召還に必要なモノへと変換されるにはそれなりに時間がかかってしまう。今の状態で無理矢理にサーヴァントを召還しようと思っても、出来損ないの亡霊や亡者を引き寄せてしまうのが関の山だろう。 だが、半年前も表舞台へは現れず、戯れに桜と慎二を使うだけで本人は傍観に徹していた怪老がここまで明確に意思表示をしてきたのだ。起こってからでは遅い何かを絶対に起こそうとしているに違いない。 沈黙が事態の深刻さを物語る。 悠長にはしていられない。協会や教会をあてにしていたら、それこそ手遅れになる。それに何より、これは遠坂とアインツベルンが片付けなければならない問題だ。両家の名を継ぐ者としての誇りが、他の介入をよしとしない。 「……どちらにしろ、早急にケリをつけなきゃ駄目って事か。イリヤ、少し無理をすることになるけど、我慢なさいよ?」 元より覚悟の上。 凛から言われなければ、勝手にやっていたところだ。 返事の代わりに静かに目を瞑り、イリヤは以前とは違う自分の魔術回路に意識を集中する。 懐かしい、なのに初めての感覚。。 その小さな全身を、氷雪に切り裂かれていくような痛みが走る。 長い、しかし絶望的なまでに時間の足りない夜が始まろうとしていた。 |
〜to be Continued〜 |