Turning Fate/The end for beginning



episode-06
〜Midnight battle〜


◆    ◆    ◆





 凛は、自分が当然死んだものとばかりに思っていた。
 かわせるはずのない速度の斬撃が、防ぎようのない威力でもって振り下ろされたのだ。如何に諦めの悪い自分でも、「終わった」と思った。だから、せめて骨か何かに引っかかって、後ろにいるイリヤには刃が届かなければ良いのに――なんてことを考えながら、目を閉じた。
 なのに、いつまで経っても斬られたという感じがしない。
 もっとも、達人の技というのはそういうものだとも聞く。斬られた者に斬られたと気付かせないのが達人なのだとか。まさか自分の身体でそれを体験する羽目になるとは思いもよらなかった。
 さて。と言うことは、自分はやはりもう死んだのだろうか?
 首を斬られても二十秒くらいは意識があると本か何かで読んだことがあるが、流石に頭から両断されてはそれも無理だろう。
 自分の人生を省みてみる。
 悪くない生き様だったとは思うが、それにしてもそのほとんどが魔術絡みというのが、どうにも、色気に欠けすぎるのではないだろうか。第一、まさか処女のまま死ぬだなんてこれはいくら何でもあんまりではないか。
 そうだ。悪くないどころか、よくよく考えてみれば異性とつきあうどころか満足に遊んだ記憶もない。酷すぎる。しこりの残りまくる人生だ。
 それなのに、こんな町の片隅で、どうして居るのかもわからない英霊もどきに斬り殺されてお終いだなんて……
 ああ、しかし、楽しかった記憶が全く無いわけでもない。そのほとんどはこの半年間の出来事で、浮かんでくるのもその間に深く付き合うようになった人達の顔。
 藤村大河は、学校同様に騒がしく、抜けまくりな女性だったが、衛宮邸に集まる者達にとってまさしく姉と呼べる存在だった。
 イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。年下の親友。この半年間での二人の関係は、最良の相棒だったとも言える。みんなの妹にして姉のような少女。
 間桐桜。ようやく姉妹として向き合えるようになった、大切な、本当に大切な妹。彼女のためにも間桐臓硯は倒しておきたかったのだが、それに関しては無念と言う他無い。後のことは士郎が……ああ、そうだ。士郎だ。
 衛宮士郎……彼と出会わなければ、遠坂凛がこんな最後を迎えることもなかっただろう。いつの間にか、彼に影響を受けすぎていた。以前の自分なら、もう少し小利口に立ち回り、後悔なんて容易く切って捨て、打算的に生き延びていたはずだ。
 けれども――それでも、彼には感謝したい。
 後悔していないわけじゃない……わけじゃないけれど、こんなにも温かな気持ちで逝けるのは、きっと彼のおかげだから。
 だから、最後にもう一度会いたいと思ったのは、イリヤよりも桜よりも、士郎の方だった。不義理な姉だと言われるかも知れないが、こればかりは仕方がない。
 それに、実際問題既に彼が目の前に見えているのだから、今更否定なんて出来るわけがないではないか。
 血のように赤い朱色の槍でもって、アサシンの一撃から自分達を庇い立つ衛宮士郎の姿が、くっきりハッキリと見える。試しに何度かまばたきしてみても、消えやしない。
「……ったく。お前ら、家主に黙って夜出歩くからこんな目に遭うんだぞ」
 それどころか、声まで聞こえてきた。
(なによ、これじゃまるで恋する乙女みたいじゃない)
 でも、それも悪くない。目の前の士郎は、そう思えてしまうくらい、どうしようもなく格好良かったのだから。





◆    ◆    ◆






「リン、リン! ちょっとリンってば!」
 頬を紅潮させ、いつまでもボォ〜ッとしている相棒を引っ張り、イリヤは取り敢えず力の限りに揺すってみた。どうやら、急激な展開に頭がついていけず、ショートしてしまったらしい。
「ああ、もう! さっさと正気に戻ってよ!」
 目の前では、アサシンと士郎が距離をとって対峙している。こんなところにいつまでも突っ立っていたら、せっかく助かった命を無駄に散らす羽目になってしまう。
「イリヤ、遠坂は無事なのか!? 何処か怪我とかしたんじゃ……」
「無事よ無事! 外傷はないし、きっと一度に色んな事考えすぎて頭がプシューッと沸騰しちゃっただけよ」
 心なしか目の方もキラキラ輝いている気がするが、気にしてはいられない。ズルズルと引きずって、袋小路の最奥まで退避する。
「普段から何でもかんでも独りでやろうとしすぎなのよ、リンってば」
 考えすぎと言えばイリヤも物事をよく考える質ではあるが、それ以上に肩の力の抜き加減をよく心得ているし、生きる事への執着が薄かったせいか視点自体が達観気味なので、凛ほどに何もかも抱え込むということはない。彼女が普段無邪気なのは、無邪気でいられるだけの心の余裕の現れなのだ。
 凛の場合は、常に独りで強くあろうとするあまりか物事を深く考え込みすぎる傾向にある。これ以上なく周到に完璧を目指そうとするから逆に視野が狭まり、ここ一番で失敗などというポカをやらかしてしまうことが多い。
 この半年で、人と深く付き合い、頼ることを覚えたためか大分余裕を持って物事にあたることが出来るようになったと思えるが、それでも不意に予想外のことが起こるなどすると極端に弱い。今回のこれはそんな遠坂凛の弱点が最大級に露呈してしまった結果と言えるだろう。
「……あ、れ?」
 と、ようやく目の焦点が定まってきた。しかし、流石にまだ状況を把握しきれてはいないようだ。
「正気に戻った? わたしが誰かわかる?」
「……イリ……ヤ……? ……わたし達、生きてるの?」
「生きてるわよ。あわやってところでシロウが助けてくれたわ」
 それを聞いて、凛の顔が真っ赤に染まる。
「じゃ、じゃあ、あれ……本物?」
「リン、やっぱりおかしいよ? どっか頭でもぶつけたんじゃ……」
「な、何でもないわよ! それよりも、何で衛宮くんが此処に……」
 大至急混乱した頭を整理。
 自分達は、深山市に点在する“場”に刻まれた召喚用魔法陣破壊のためにここ数日行動していて、その魔法陣が間桐臓硯によるものだと気付いた。さらに、イリヤの目利きで魔法陣がサーヴァント召喚システムの簡易型であることが判明、そこを臓硯に襲撃された。ここまではいい。
 問題なのは、その後。
 何故か現れたアサシンのサーヴァント、佐々木小次郎に殺されかけ、そこを何故か現れた衛宮士郎に救われた……
 そう。どうして……
「士郎、あんたなんでこんな時間にこんなとこにいるのよ!?」
「そりゃこっちの台詞だ! 俺は単に数日前の事件が気になってパトロールしてただけだってのに、なんでこんな所で遠坂とイリヤが殺されそうになってなきゃならないんだ!?」
 非常に腹立たしいが、その言葉だけで凛にもイリヤにもどうして士郎がこんな時間に町を出歩いていたのか理解出来てしまった。どうやら、互いに気付かれないようにとこっそり屋敷を出ていたため、うまく擦れ違ってしまっていたらしい。勘付かれないようにと事件の話題を避けていたことも災いした。
 凛は呆れていた。相も変わらず無鉄砲極まりない目の前の魔術使い見習いの行動にもだが、自分自身の軽率さにも頭を抱えたくなる。新聞だろうとニュースだろうと、あんな事件が町で起こったと知れば、誰に相談するでもなく勝手に自分だけで解決しようとする男、それが衛宮士郎だなんて、今更考えるまでもないことだったというのに。
「……完ッ璧にわたし達の手抜かりだったみたいね。解決するまで新聞もニュースも見れないように、土蔵にでも閉じこめておくべきだったわ」
 そこまでしなければ、この本気で正義の味方を目指している男を止められるはずがなかったのだ。
「むっ。遠坂、さては凄く失礼なことを考えてないか?」
「考えてないわよ! ったく、もう」
「話は終わったかの?」
 突然かけられたその声に、凛とイリヤはバッと通路にたたずむ怪老へと向きなおした。士郎も、意識はアサシンに集中しつつそちらに視線を流す。もっとも、アサシンも老魔術師の話の最中に突如斬りかかるつもりはないらしい。愛刀を肩にかけ、悠然と瞑目している。
「いやはや、若いということは実に羨ましいものよな。もはや思い出すことさえ出来ぬが、ワシにもかつてそんな時代があったかと思うと……く、くく」
 一体何がそんなに可笑しいのか、臓硯は相変わらずあの嫌な笑顔を浮かべていた。見ているだけで吐き気をもよおす、そんな顔だ。
「ところで遠坂、聞きたいことがあるんだけど……」
「何よ?」
 そんな臓硯をチラチラと見やりながら、士郎はこれ以上ないくらい真剣な面持ちで凛に尋ねた。
「この爺さん、誰だ?」
 一瞬の静寂の後、笑い転げる凛とイリヤの姿があった。



「……衛宮の小倅、士郎と言ったか。おぬしにはまだ名乗っておらんかったな」
 皺だらけの額が、微妙にピクピクと痙攣している。よもや、この状況にあってあのような質問が飛び出すなど流石の大魔術師も考えてもみなかったのだろう。最も、士郎にしてみればいたく当然の質問をしたまでなのだが。
 凛とイリヤはまだ過呼吸で苦しそうにしている。それどころか、アサシンまでクックッと笑っていた。
「ワシの名は間桐臓硯。間桐慎二の祖父じゃよ」
 それを聞いて、ようやく士郎の顔にも険しさが浮かぶ。
 慎二の祖父を名乗る老人が、凛とイリヤと対峙し、二人の命を奪おうとしていた。そこから導き出される答えが、穏やかなものであるはずがない。
「あんた、慎二のことは……」
「ふむ。そう言えば、慎二とは友人なのじゃったな。そうよ。半年前、慎二の奴を焚き付けてやったのはこのワシよ」
 その一言で、士郎の中の撃鉄が落ちた。
 朱色の槍を振りかざし、今は亡き友人だった男の祖父へと詰め寄る。が、アサシンがそれを容易くさせてくれるはずもない。
「ちぃッ! どけよ!」
「そうもいかぬな。今の私のマスターは、そこに居る御老ゆえ」
 弾け合う槍の穂先と長刀の刃。
 今の今まで失念していたが、そもそも老人以上にこの男の出で立ちが奇異だ。敵だと言うことはわかる。凛とイリヤに斬りかかり、間桐臓硯をマスターと呼ぶ着物姿のこの男を敵だと認識しない程、士郎も脳天気ではない。
 それに、見覚えがある。何処かで一度、衛宮士郎はこの男を見ている。
「ふむ。存外に、楽しめるか、な……!」
 曲線を描き、迫り来る斬撃。
 ――迅い。
 それは、半年前に経験した類の速度と威力。人間を超越した者が放ちうる、英霊と呼ばれる者達の攻撃を思い出させ……そこで、ようやく士郎は男と何処で出会っていたのかを思い出した。
「あんた、柳洞寺の山門の……!?」
「そうか。何処かで見た顔だとは思ったが、セイバーのマスターだった小僧か」
 アサシンの顔に、感慨深い色が浮かぶ。途端、鋭さを増す斬撃。
 何とも愉し気なそれは、振るわれるごとに加速し続けていく。
「なんで……聖杯戦争はもう終わったってのに、どうして英霊であるあんたが現界していられるんだ!?」
 士郎の脳裏を、あの金色の英雄王の姿が横切った。彼と同様、人々を養分として魔力を得、現界し続けているのだろうか? だがあの時、『アサシンは既に倒れた』とキャスターは確かにそう言っていたはず。
 考えがまとまらない。無駄な思考を消し飛ばすかのように、アサシンの太刀が幾重にも繰り出される。
「シロウ! そいつは英霊じゃないわ!」
 イリヤそう叫ぶのとほぼ同時に、一際力のこもった斬撃が士郎を弾き飛ばした。元より距離を取るのが目的だったのか、アサシンはそれ以上仕掛けてこない。
 殺気のない、無形の完全な自然体。涼やかに、あくまでいつも通りの泰然とした様を崩さずに、アサシンは語り出した。
「左様。我が身は既に英霊に非ず。いや、この言い方では語弊があるな。何しろ、元々英霊でも何でもない、ただの亡霊だったのだから」
「……な、どういうことだ!?」
 アサシンのサーヴァント、英霊佐々木小次郎。それが、かつてセイバーから知らされた彼の真名。実在を危ぶまれた剣士ではあったが、元々英霊とは架空の存在でも構わないという話も聞く。それならば、この日本という国での知名度を鑑みれば彼が英霊として機能していても何ら不思議はないと、そう思っていた。
「うむ。前回の聖杯戦争での私のマスターは、あのキャスターでな。サーヴァントによって呼び出されたサーヴァント、それが私だったのだ」
 そう言われても、元々聖杯戦争のルールに疎かった士郎はいまいちピンと来ない。縋るような視線を凛とイリヤに向けると、二人は大仰なジェスチャー付きで「やれやれ」と言った顔をした。
「つまるところ、正式な召喚ではなかったために、真っ当な英霊でもないのに召喚されてしまった……そう言うわけね?」
「ふふ、物分かりの良い娘で助かる。私は単に伝説上の佐々木小次郎を演じるのに都合の良い条件を幾つか揃えていた、それ故に召喚された紛い物の英霊だ。実際には、まともに名乗るべき名すら持ち合わせておらぬただの亡霊よ」
 どうやら、アサシンは凛を気に入ったらしい。ランサーと言いアサシンと言い、遠坂凛は英雄に好まれる星の下に生まれついたようだ。
「そう、だから、彼にはサーヴァントとして最低限必要な、英霊の知識のみが孔の向こうから与えられたの。前回倒れた後、聖杯に還っていったのも与えられていた部分だけ……なんでしょ? 魂そのものは一度得た知識と一緒に此処に残留した。少なくとも、わたしは貴方の魂は感知出来なかったわ」
 イリヤの言葉を、アサシンは苦笑でもって肯定する。
「そこから先はワシが話そう」
 話が途切れそうになったと見るや、さも愉快そうに言葉を紡ぐ臓硯老。
「前回の召喚時、キャスターはこの男を無理矢理に召喚し、あの山門を媒介とすることで現世に縛り付けた。ワシも詳しくは知らぬが、元よりあの寺と縁深き者だったのじゃろう。しかし、それだとて重大なルール違反には違いない。魔力の量とは関係無しに、現世にとどめておける期間は二十日程が限度だったのじゃ」
「それじゃ、前回アサシンが倒れたと言ったのは……」
「時間切れじゃよ。単なる、な。だが、それがこの男にはよほどの無念だったのじゃろうなぁ」
 ニヤニヤと語り続ける臓硯に対し、アサシンは変わらぬたたずまいで無反応を決め込んでいる。
 まともな英霊ではなかったにしろ、英雄の殻を被り召喚されるだけの剣豪。それ程の男が、稀代の英雄達を前にして存分に戦えぬ無念、魔女の走狗と成り下がり顎で使われる恥辱、いったい誰が知ろうか。
 士郎は男であるが故に、凛はその誇り高さ故に、イリヤは彼の事情を深く知るが故に……僅かでもその心情がわかってしまう。
「ふぉっふぉっふぉ。もっとも、その無念のおかげで彼のように強力極まりない亡霊が手に入ったのじゃから、ワシとしてはまっこと僥倖だったと言えるがの。それに、遠坂とアインツベルンの娘達にも感謝しておるよ。新型魔法陣の実験の後始末、随分と頑張ってくれたようではないか」
「それじゃ、あの魔法陣は!?」
「仮にも英霊に匹敵するだけの男を現界させるには、並の魔法陣でどうにか出来るものでもなくてな。調整にはいささか手間取ったが、おぬし達が迅速に対応してくれたおかげで大事にもならずに済んだようじゃ。すまなかったのぅ」
 ここに至って、凛もイリヤもようやく納得がいった。あのメッセージから四日、散々繰り返した実験の後始末に自分達を利用し、臓硯はその間に完成した魔法陣を使ってまんまとアサシンを現界させたというわけだ。もしも邪霊と魔法陣への対応が遅れ、事が大きくなってしまえば、教会や時計塔が動く事もありうる。だが、因縁浅からぬ凛とイリヤを巧く使いさえすれば、その心配も無い。
 後は彼女達を始末すれば、全てに気付いた神父が教会に連絡する頃には既に何もかもが終わっていると、そういう寸法なのだろう。
 だが……果たして本当にそれだけか? 臓硯には、まだまだ余裕がある。まだ、語られていない真実がある。凛は必死にそれを読みとろうとし、イリヤは懸命に判明している事実から追求しようと試みる。
「御老、もうその辺でよかろう。わざわざ語るようなことでもあるまい」
 全てを語り尽くそうとする饒舌な主を窘めるように、アサシンがその身を乗り出した。ゆっくりと隙無くかざされた刃は、もはや語るべき事など無いと告げているかのようだ。
 臓硯の薄汚い企みなど、彼にとっては何の意味も持たないのだろう。
 ただ、戦えと。それこそが、彼の赤心。唯一の望み。
 おそらくはこの俗世に留まり続けること自体が屈辱であろうに、それをも上回るのは激しすぎる死闘への欲求。
「……シロウ」
 イリヤの瞳は、戦っては駄目だと必死に訴えている。その脇で唇を噛んでいる凛も全くの同意見のようだ。アサシンの気持ちもわからないではないが、彼女風に言うのならここで彼と戦っても心の贅肉に過ぎないということなのだろう。
 だが、どちらにしろ目の前の侍を何とかしない限りは間桐臓硯の企みを暴くことも、ましてや止めることなど出来やしない。凛の苦悩もその事をよく理解しているが故のもの。
「……まだよく事情を飲み込めたわけじゃないけど」
 蒼き槍兵の構えをトレース。朱槍の切っ先を剣士へと向け、四肢に力を込める。
「ここで戦わないわけにも、いかないよな」
 その答えに、アサシンも満足したらしい。彼らしい優美な笑みと、どこか期待の籠もった眼差しが士郎を射抜く。
 臓硯が何を考えているのか、その表情から読みとることは出来ない。
 星の光に鉄が輝き、ぶつかり合う刃が火花を散らす。
 凛とイリヤの見守る中、真夜中を舞台に戦いは始まった。





◆    ◆    ◆






「ふん」
 煌めく剣線。
 しなやかに曲線を描きながら、一撃、二撃、三撃。
 アサシンの太刀筋には決まった型のようなものが無い。あらゆる態勢、あらゆる動作から常に連続、変則的に長刀が振るわれ、縦横無尽に急所を狙ってくる。あの長いエモノがどうすればまるで生き物のように動くのか、しかし事実として変幻自在だ。
「っあッ!」
 しかし、それでも片刃の曲刀、さらには五尺余もの長さ。そこに存在する僅かな縛りを、魔力で強化した今の士郎の目なら、完全に見切れないというわけでもない。
 アサシンの間合いは、まさしく剣で出来た球状の結界である。技量の面で絶対的に劣っている士郎がそこに飛び込むことは、即ち死を意味する。よって、現在投影できる武器の中でも有効なものは限られてくる。
 ランサー――ケルト神話伝説の大英雄クーフーリンが用い、一度は士郎自身の胸を貫いた伝説の魔槍ゲイボルク。アサシンの間合いの外から最速の動きで攻防を可能と出来る武器は、今のところこの槍しかない。
「ふふ……!」
 右上段からのアサシンの斬撃を、
「はッ!」
 降ろされる前に槍で迎撃する。
「……なるほど。その槍、その動き、まさしくあのランサーのもの」
 半年間の修練の果て、士郎は聖杯戦争時に目にした伝説の武器の幾つかは確実に投影できる域に達していた。その中でも、セイバーのエクスカリバー、ランサーのゲイボルク、戦後調べてみてわかったアーチャーの干将莫耶の三種類はほぼ完璧に作れる自信がある。
「投影魔術、というものがあることは知っていたが、よもや使い手の動きまで模倣出来るとは思わなんだ」
 魔力の絶対量向上にも努めてきたが、所詮は半年たらず。休み無しで真っ当に投影出来る回数はいまだ七回から八回が精々だ。ならば、一度の投影で造った武器の完成度を高めた方が効率がいい。
 剣と槍と短剣、この三種を極め、上手く使い分けることが出来れば白兵戦だけでもオールラウンドにこなせるようになる。日課の筋力トレーニングも、その三種に沿って鍛え込んできた。さらに身体能力を魔力で強化した今の状態は、単純な筋力でならアサシンとも互角、もしくは僅かに上回っている自信がある。
「はぁああッ!!」
 裂帛の気合いと共に、長刀を弾く。流石のアサシンの剣も、振り下ろされる前に力業で弾かれては驚異的な連続攻撃には至れない。
「……ふむ……!」
 長刀物干し竿は、そのあまりの長さのため刺突には向かない。攻撃はあくまでも斬撃、線の動きに限られてくる。間合い外から点の動きで先を取ることさえ出来れば、技量の差を誤魔化しつつ隙を窺うことも不可能ではない。剣同士での戦いであれば、絶対的なリーチ差に加え、その類い希な技量からくる斬撃の速度で常にイニシアチブを取れるのであろうが、それを見越してのゲイボルクだ。
(このまま上手くいけば……勝てる、か?)
 聖杯戦争から半年。自分は随分と強くなったと思う。その証拠に、今もアサシンと互角以上の戦いを繰り広げている。
 これなら、これならば……あるいは――



「何よ、士郎……本当に強くなってるじゃない」
 凛の眼前。士郎の槍術は、アサシンの剣技にも負けていない。あの疾風の剣を悉く防ぎきっている。しかも、見た限りではスピードもそう劣ってるわけではないようだし、パワーでは上回っているようにすら見えた。
 即座に斬り捨てられてしまうのでは、という心配は、どうやら杞憂で済んだらしい。
「もしかして、このままなら……」
 ――勝てる、のではないか。
 人の身でありながら、あの剣霊に。
 そうだ。彼が将来どれほどの大成をなすか、凛は知っている。如何なる経緯で彼があの未来に辿り着くのかはわからないが、それでも、今見ている強さがその片鱗であるのなら、或いは……
 しかし――
「……無理、よ」
 凛のすぐ隣で、イリヤは冷淡にその希望的観測を否定した。
「どういう事?」
 戦闘はいまだ膠着状態。アサシンが剣を振りかぶれば、士郎がそれを迎撃、その繰り返しが続いている。だと言うのに、イリヤは……
「無理だよ、やられちゃう」
 確信を持って士郎の敗北を予言した。
 それによく見れば、その声も表情も、冷淡などではない。彼女は必死に感情を押し殺している。その感情は、凛も半年前に抱いたことがあるものだ。
 だから、わかってしまった。凛にも、士郎が勝てないのだろうということが。
 イリヤが何を根拠にそう言っているのかがわからずとも、今の彼女の顔は、かつてバーサーカーを食い止めると言って一人残ったアーチャーに自分が向けた顔と、同じ類のものだったから。
「このままじゃ……お兄ちゃんは、シロウは絶対に勝てない……!」



 ――もしかしたら、勝てる、と。
 そう思った、刹那。
「……こんなものか」
 それは、突然のことだった。
「……え?」
 士郎も凛も、目を疑った。
 イリヤだけが顔を背け、臓硯は勝ち誇った顔でニヤニヤと笑っている。
 アサシンは、涼し気な普段の表情を崩してさえいない。そう、まるで当たり前のことであるかのように、ユラリと緩慢とさえ思える動作で剣を振るい、しかしその速度はこれまでのものとは決定的に違っていた。
 煌めく剣閃。
 斬り飛ばされた槍の穂先が空中でクルクルと回り、魔力で生み出されたソレはやがて溶けるように消えてしまう。同時に、士郎の手にあった柄の部分も霧散した。
「……う、な……」
 あれから半年、常に磨き続けてきた。
 目にし、心に刻んだ現物との差を埋めることだけを考え、来る日も来る日も投影に明け暮れた。
 作り出した武器の現界時間を延ばすため、練度を高め続けた。
 比喩ではなく、実際に血反吐を吐いた日もある。まだ満足に開ききっていない魔力回路まで無理矢理こじ開けながら、より強く、より高度に。
 理想を貫けるだけの力を。彼女との誓いを守れるだけの強さを。
 だのに、その結晶は、今、あっさりと消し飛ばされた。
「……く、なら!」
 諦めている暇など無い。
 即座に新たな武器を。ゲイボルクで駄目なら、干将莫耶で接近戦を挑む。懐にさえ入ってしまえばあの長エモノ、対応しきれないはず。
 頭に思い描いた途端、瞬時に両の手に現れる陰陽の双剣。同調すべきは赤い外套の弓兵が槍兵に対してやって見せた、神業的攻防。だが――
「これも、違うな」
 今までとは全くレベルの違う超速の太刀の前に、一合と保たずに干将が断たれ、莫耶が砕け散る。
「う、そだ……そんな」
 一撃で消し飛ばされるなど、そんな甘い作りはしなかったはず。では一体何処が足りなかったのか。咄嗟だったが故に基本骨子の想定が甘かったのか、それともイメージ自体曖昧ではなかったか。何処かに綻びがあった? そんなはずはない。連日連夜練り上げ続けてきたイメージだ。そう簡単に敗れ去るはずが……しかし現実としてゲイボルクも、干将莫耶も真夜中の暗い大気に溶け消えた。
「じゃあ、こいつでどうだ!」
 思い描くは聖剣、エクスカリバー。
 知りうる限りでの最強の剣と、その最強の使い手たる彼女のイメージに意識を同調、瞬時に完了し、そのまま全力で振りかぶる。
「なるほど。こいつは……」
 侍の顔に滲む微かな驚嘆、そして期待。
 一合、二合。振り下ろし、振り上げ、続け再び袈裟懸けに降ろしきる。
 剛剣。
 あの小さな身体にはそぐわないと思った。しかしその姿を追憶し、振るえば振るう程これは彼女らしい騎士王の剣だったのだと思い知らされる。
 金属と金属がぶつかり合う、耳障りな音。だが、今はそれが証明。自分の武器が砕けずに通用している唯一の――
「だが……甘い」
 パリンッ、と、硝子の割れるのにも似た音が響く。
 それは、決定的な敗北を告げる音。
 これがあの荘厳にして華麗な、勝利を約束された剣とは思えぬ程に呆気ない、あまりにも呆気ない最後。
 最強であったはずの聖剣は、四合目であえなく割れ、弾け飛んだ。





◆    ◆    ◆






「嘘……でしょう? いくら技量に差があっても、こんな……」
 茫然とする凛が見守る先で、士郎は尻餅をつき、その喉元に長刀を突き付けられている。
「無理、だよ。いくら力があっても、武器のリーチや相性で勝ってても駄目。それだけで勝てる相手なら、バーサーカーが苦戦するはずない。セイバーだって、ランサーだって、簡単に勝てたはずだもの」
 今にも泣き出しそうに、イリヤもその光景に見入っていた。アサシンが少しでもその長刀を前に突き出せば、士郎は死ぬ。あの間合いでは、何処に逃げても彼の魔剣からは逃れようがない。
 絶望に囚われた二人の視線の先で、アサシンは無慈悲にも構えに入った。
 常に流れるような自然体だったアサシンが、初めて見せた構えらしい構え。それがゲイボルクすら凌駕するかも知れない、対個人ではセイバーをもってこれ以上は無いだろうと言わしめた秘剣のものであるなど、この場の誰が知りうることか。
 それでも、全員が漠然とだが理解した。
 あの剣が振るわれたなら、衛宮士郎は死ぬ。
 絶対に助からない。偶然や運の善し悪しでどうにかなるレベルじゃない。あれは、まさしく必殺の剣だ。
「……期待外れだったな」
 常に優美であった侍の顔に、今、初めて冷然とした色が浮かぶ。
 長刀が揺らぐ。まるで幻のようにその刀身がぶれ、だが、それはどうしようもなく現実の刃。肉を裂き、骨を断つ、全てを滅する殺人剣。
「――秘剣、燕返し――」
 多重次元屈折現象。
 一つしか存在しないはずの刃が、しかしその瞬間のみ確かに三つ同時に振るわれ、士郎へと襲いかかった。






〜to be Continued〜






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