Turning Fate/The end for beginning



episode-07
〜芯鉄追究考〜


◆    ◆    ◆





 無限に連なる平行世界と現在自分が立つ世界を自在に繋ぐ、現存する五つの魔法がうちの第二、その御業と言われる多重次元屈折現象。
 そこに完全に到達した者を、世界は一人しか知らない。
 魔導元帥、キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグ。
 曰く、万華鏡、宝石の魔導師、時の翁。死徒二十七祖の第四位にして、朱い月をも殺したとされる伝説の老翁。
 彼の人に教えを請うた魔術師は、それこそ数限りなくいた。そのあまりにも尊い偉業に魅入られ、少しでも近づこうと足掻き、だが敵うことなく過ぎ去っていったとされる幾星霜の日々。
 だが、あらゆる魔導を統べろうとするロンドンの時計塔も、全ての叡智を極めんとするアトラスの学院も、知りはすまい。
 魔術を研究するわけでも、錬金術を探究するわけでもない。ただひたすらに一つの道に打ち込み、誰に知られることもなく、無論己で気付くこともないうちにこの第二魔法と同質の現象に辿り着いてしまった漢のことを。
 魔導書も、フラスコも、漢には意味を為さない。
 何故なら、彼がその生涯を費やし求めたものは、ただ一振りの剣。
 魔術師に非ず。錬金術師にも非ず。漢はただの剣士。剣の修羅。
 極東の島国にて、その名を残すこともなく果てた一人の侍がそこに辿り着いていたなど、故に、誰が知りうることでもなかった。



 凛は自分の目を疑った。
 眼前で展開されたソレがなんであるか、遠坂の当主である彼女が見間違えるはずもない。いや、見る、というのは間違いか。その速度は、彼女が視認出来るレベルではなかった。ただ、軌跡を迅る光のみが、その現象を彼女に教えた。
 多重次元屈折現象――キシュア・ゼルレッチ――
 遠坂に伝わる大師父の名を冠した、魔法現象。
 衛宮士郎に迫る三つの刃。それは平行する世界との繋がりがもたらす、完全なる同一同時存在。速度のあまりに三本に見える、のではない。“三本在る”のだ。
 魔術とは明らかに違うそれを、魔術師であるが故に理解した。そして、魔術師であるが故に、彼の死を冷静に悟った。
 死ぬ。衛宮士郎は死ぬ。
 その身体は最低でも四片に分かたれ、夥しい量の血を流し、臓腑を撒き散らして、彼は死ぬ。それは覆しようのない事実。数瞬の後に確実に訪れるであろう、既に決められた未来。
 声が出ない。
 叫びたくとも、きっと脳がそんなことは無駄だとわかっているから。
 彼女が声帯を震わせ、あらん限りに叫ぶ頃には全てが終わっている。だから無為なことだ。どうしようもなく無為なこと。
 ああ、しかし如何に無為なことなれど。
 凛は叫びたかった。
 それは、死にゆく彼の耳に、最後に自分の声を届かせたい……そんな欲求だったのかも知れない。



 魔剣の軌跡を見つめながら、イリヤは無駄なことだとわかりつつも魔術回路に意識を集中した。
 開いていない。繋がっていない。バラバラだ。点と線はいまだに何のカタチも描かず、苦痛以外には何も生み出さない。
 だが、血と涙と汗にまみれながら、それでもイリヤは苦痛を連続させた。その果てに繋がるという保証はない。待っているのはただ傷ついた自分だけかも知れない。
 それでも、無駄なことだとしてもやらずにはいられなかった。ここでそうすることが、この半年の間に自分が見つけた答えの片鱗だから。そして、完全な答えを見つけるためには士郎が絶対に必要だと確信しているから。
 だから、繋がれ、と。
 願うことなど馬鹿馬鹿しい。願うだけでどうにかなることなど無い、そんなことはあのアインツベルンの鉄の城で生まれた時から理解している。だからこその自分、聖杯は求められたのだから。でも、そんなことは関係ない。
 焼ける。灼ける。躯が千切れる。
 願って駄目なら、もっと願おう。一つの願いが叶わないのなら、幾千幾万と重ねて願おう。しかし、それすらも絶望的なまでに遅いと思えてしまうほど、三つの剣閃は速かった。



 二人の少女の想いを無碍に、死の具現たる線は士郎へと迫る。
 正中線を真っ向から両断せんとする一の太刀。横薙ぎに、逃げ場を奪う二の太刀。一と二の差を埋め、万全を期す三の太刀。そのどれもが致命の威。完全なる生奪を可能とする魔技。
 魔法とは、奇跡の事象である。それを単なる魔術の到達点と見るのは、大きな誤りだ。魔術もまた、到達するための一つの手段に過ぎず、それでなければ辿り着けないなどというものではけしてない。
 事実として、剣士は辿り着いた。
 繰り返される修練と、積み上げられた研鑽。身を削る錬磨と数限りない死闘の果てに、彼が手に入れた一つの究極。
 秘剣、燕返し。
 過去において無敗。現在において無敵。未来において無比。
 士郎は全霊でもって模索する。
 この秘剣を打倒可能なモノを。在るはずだ。絶対に在るはずだ。
 たとえどんな技であろうと、剣だ。剣である以上は、それを凌駕出来る。凌駕するイメージを、自分は抱ける。抱けなければおかしい。だって、剣なのだから。
 剣は無限。常に無限にそこに在る。
 どれだ? どれなら出来る?
 材質で勝るもの? いくらでもある。
 秘めた魔力? 目の前の剣には元より魔力など無い。
 使い手の力量? 相性次第で充分に倒破は可能だ。
 ならば見つけだせ。勝てるモノを。倒しうるモノを。究極の一を制することが出来るモノを無限の剣丘の中から見つけだし作り出しソレを振るい勝利せよ。
 ――探す? 見つけだす?
 馬鹿な。そんな必要が何処にある。答えなどとうに出ている。究極の一を制するなど、それを越える究極でしかあり得ない。
 必要なのは、たった一つの――――だ。
 故に無限など不要。そう、不要なのだ――





◆    ◆    ◆






「なん……と……!」
 驚愕は、アサシンのものであり、凛のものであり、イリヤのものであった。臓硯も、信じられないものを見たかのようにその皺に埋もれた双眸を見開いている。
 光。
 神々しい、この世の理とは一線を画す尊き黄金の光。その光は、優しく士郎の全身を包み込んでいる。
 弾け飛んだのは、鞘。
 溢れ出したのは、異界の魔力。
 輝きが全てを遮断する。それは平行世界と通じた同一同時存在も例外ではない。何故なら、輝いているのは平行する同じ世界のものではなく、けして並び立たない異なる世界の光であったから。
「アヴァ……ロン……」
 誰よりも驚いていたのは、士郎自身だった。
 無意識のうちにかざした手の先で展開されたのは、“全て遠き理想郷”。妖精の住まう多次元の名を冠した宝具。衛宮士郎の躯の一部にして、しかし永遠に失われた半身。
 あの日以来、一度として投影に成功しなかったものが、今、完全にアサシンの剣撃を遮断していた。





◆    ◆    ◆






「二人目、だな」
 光が消えた後、そこに残されていたのは、まるで何事もなかったかのように悠然とたたずむアサシンと、膝をつき、もはや完全に力尽きた様相の士郎だった。
「我が秘剣を受け、生を拾ったのはおまえと、そしてセイバーだけだ」
 まったく、このマスターにしてあのサーヴァント在りか、と続けて苦笑し、アサシンはクルリと背を向けた。そうして、ゆっくりと通路へ向けて歩み出す。
「……どういうつもりじゃ、アサシン」
 その挙動に真っ先に反応したのは、侍の主である臓硯だった。凛も、イリヤも、先程までアサシンと対峙していた士郎ですらも何が起こったのか理解出来ず、言葉を発せずにいた状況で、臓硯は苛立たしげに杖で地面を突きながら、アサシンに真意を問うた。
 だが、紛い物の英雄はそんな主の態度などどうと言うこともないように受け流しながら、
「御老、間もなく陽が昇る。今の私は実体はあれど儚き亡霊、陽光など浴びようものなら数瞬で再び三途の川を渡る羽目になるであろうよ」
 と、もっともらしく答えた。
「そう何度もあの陰気な渡し守に六問銭を払ってやる気にもなれるのでな」
 振り向きもしない、有無を言わさぬ態度と言葉に、臓硯も押し黙る。
 アサシンが言っていることは事実かも知れないが、しかしだからといってここで士郎達を見逃す理由にはならない。彼がその気になれば、陽が昇る前に三人を斬って捨てるなど造作もない、そんなことは臓硯も、三人も、よくわかっている。
 彼は敢えて見逃すと言っているのだ。自分にとってとるに足らない存在であった三人を。
「……どう、してだ」
 それを屈辱ととるよりも、先に来るのは単純な疑問。だが、アサシンは答えない。ゆっくりと、その背中が遠ざかっていく。
「まぁ、よい。今更お前達が何をしようとも、どうにもならぬ。もう間もなく、ワシの望みはかなうのだから」
 臓硯の姿が、ドロリと、闇に溶け込んでいく。
「精々嘆くがよいぞ、聖杯戦争を盛り立ててくれた者達よ。感謝しよう、心から、のぅ。カッカッカ……!」
 薄気味の悪い笑い声だけを残して、怪老は消えていた。もはや、先程までそこに誰かが立っていたという痕跡すらない。
 凛の張った即席結界も、夜明けとともに消え去る。それで全ては終わり。勝負は凛達の完敗だった。臓硯の企みも暴けず、アサシンを打倒することも出来ず、何も知ることのないまま、ただ結果が訪れるのを待つのみ。
「……衛宮士郎、と言ったな」
 ふと。通路へと消えかけていたアサシンが、言を発した。
「……何だよ」
 士郎の声には、覇気が無い。諦める、なんて言葉が最も似つかわしくない彼ではあったが、己の理想とセイバーとの誓いを胸に、ひたすら積み上げてきた半年間が何一つ通用せずに敗北を喫したのはやはり相当なショックだったらしい。弱々しく、拗ねたような目でアサシンの背中を睨め上げ、しかしすぐに俯き目を逸らす。
 そんな士郎の姿を見ているのかいないのか、通路の暗がりからは抑揚のないアサシンの声だけが響いてくる。
「衛宮よ。おまえの作る剣は、皮鉄ばかりで芯鉄がないのだ」
「芯……鉄が、ない……?」
 そんなアサシンの言葉に、思わず士郎も反応していた。
 日本刀の条件とは、よく『折れず、曲がらず、よく切れる』の三つだと言われている。しかし、折れないためには衝撃を吸収するだけの柔らかさが必要となり、曲がらないためには当然硬さが必要となる。矛盾である。
 その矛盾を解消するために、日本刀は柔らかい芯鉄を硬い皮鉄で包むという技法を用いた。柔らかな芯が衝撃を吸収するために折れず、外側を硬い皮で覆うことによって曲がらない、それが日本刀の基本構成だ。無論、士郎はその事を知っている。だが……
「左様。皮鉄は確かに硬い、けして曲がりはせぬだろう。だが、柔らかな芯鉄が無ければ容易く折れる。刀とは、そういうものだ」
 アサシンが何をもって今そのような講釈をたれているのかが、わからない。自分には、芯鉄がないとは、果たしてどういう事なのか。
「おまえは強い。剣を合わせてみてわかったが、おそらくは気高い理想を持ち、けしてそれを曲げぬだけの心の強さをも持ち合わせている。……だが……」
 そこまで言って、アサシンはいったん言葉を切った。
 イリヤは静かに成り行きを見守っている。
 一方凛は、アサシンの言葉にあの弓兵のことを思い出していた。
 侍の言葉は、一々的を射ている。士郎は強い。けしてこの世にはあり得ない、実現しない理想を追い求めながら、しかしけして曲がらずに進んでいけるだけの強さを持っている。今は、そこにさらにセイバーの事まで絡んでいるのだから尚更だろう。だが、それ故に……
「……だが、それだけでは、いずれ折れる」
 いつか必ず、折れる日が来る。理想を夢見ていた自分を、呪う日が来てしまう。
 赤い背中が、凛の脳裏に甦る。
 大きくて力強く、そしてどうしようもなく哀しい背中。
「……」
 士郎は何も言えずに、ただ、その場に縫い止められたかのように固まっていた。
 自分の理想がただの借り物であるなど、そんなことは半年前に既にわかっている。だが、それでも貫くことに意味があるのだと、そう信じたが故に美しいと感じ得たのではなかったか。
 それなのに、アサシンの言葉は鋭く胸に突き刺さる。納得していたはずの心を、深くえぐる。
「おまえの芯とは、一体なんだ? その事を、今一度よく考えてみるがいい」
 最後にそう言い残し、紛い物の英雄は消えた。それとほぼ同時に、空が明るみだしてくる。結界も消えたのか、それまではほぼ完全な静寂だった空間が音を取り戻しつつあった。
 士郎の身体にも、ようやく動けるだけの体力と気力が戻ってきた。だが、片膝をついたままの力無い姿勢で、ジッと通路の奥を見つめ続けている。
 イリヤはそれを見て悲しげに俯き、凛は血が滲むほどに強く唇を噛み締めていた。
 長い夜が、ようやく終わりを告げた。





◆    ◆    ◆






「……そう、か。じゃあ、聖杯戦争の後も遠坂とイリヤは戦い続けてたのか」
 朝日に照らされた衛宮邸への帰り道。凛は、イリヤの術式と桜に関する話をうまく避けながら、士郎にこれまでの経緯を説明した。
 戦後、使い切ってしまった宝石を何とかするため、教会に協力して邪霊退治をしていたこと。聖杯戦争の仕掛け人でもある間桐――マキリ臓硯という老人のこと。先日の事件がその怪老からの宣戦布告も同様のものであったこと。冬木市に点在する“場”に刻まれた、魔法陣のこと。その魔法陣を用いてあのアサシンは召喚されたのだと言うことを、簡潔に。
「臓硯が何を企んでいるのかは……まだよくわからないわ。最初はもう一度聖杯戦争を起こすつもりなのかとも思ったのだけど、そうじゃないみたいだし。もっとも、聖杯を何かしらに使うのは間違いないとは思うけど」
「もう一度聖杯戦争をって……待ってくれよ遠坂。聖杯は前回俺とセイバーが破壊したんだ。もうこの町には聖杯は存在しないはずだろう?」
 そこで、凛は少々口籠もった。士郎から聞いた彼とセイバーの顛末。彼は、聖杯を破壊したことでセイバーも正しき死を迎えたのだろうと信じている。
 しかし、聖杯は破壊されてなどいない。破壊されたのは表層に現界されただけの器に過ぎず、そこに集まった魔力は今もって冬木市に溢れかえり、聖杯を降臨させるための大本のシステムである大聖杯もいまだ無事なのだ。それに、冬木以外にも聖杯伝説は世界各地にある。
『生きているうちに聖杯を手に入れる事が出来たなら、死後英霊となって戦い続けることを誓う』
 それがセイバー――アルトリアが世界と交わした契約。士郎はわかっていない、この世界そのものと契約を交わすということの重大さを。
 世界は多くの抑止力を欲している。英霊という尊き魂を根源へ置き、世界の運営に支障をきたす霊長の行動を常に制限するために。そんな世界が、彼女ほどの魂を容易く解放するだろうか?
 セイバーの魂が果たしてどうなったのかは、凛は無論のこと、イリヤにすらわからない。
 死して後、英霊とならずに人として正しき輪廻の輪に還ったのか。それとも真の英霊となり、今も何処かで世界を正しく機能させるために剣を振るっているのか。アーサー王伝説の通りに、理想郷にて復活の日を待っているのか……
(ああ――らしくないなぁ)
 聖杯の破壊と、セイバーの安らかな死を信じる士郎にその事を告げるのは、いかに魔術師として常に自分を律している凛でもやはり憚られてきた。だから今まで大聖杯のことにも、セイバーのことにも告げられずにいたのだ。
 真実を伝えたなら、彼は躍起になって大聖杯を破壊しようとするだろう。この地の聖杯が無事だなどと、それはセイバーの最後を最も冒涜する事実。だから、聖杯のことだけでも伝えるべきだ、と、そう思って聖杯のことを口にしたのに。
 だが……仮にそうだとしても、凛は迷っていた。らしくない。本当にらしくない。
 そもそも、大聖杯などさっさと壊してしまえばよかったのだ。それなのにこの半年間、何故それが出来ずにいたのか……
 そんな凛の躊躇いを感じ取ったのか、それまで無言を貫いていたイリヤが不意に口を挟んだ。
「ゾウケンは、聖杯が破壊されたことで行き場を失った魔力を使って、もう一度新しい聖杯をこの土地に降ろすつもりなのよ」
 明らかな、嘘。
 今回の件は、完全に聖杯戦争の発起人たる御三家の私事だ。そんなことで士郎の心を痛めたくないと思うのは、イリヤも同様だった。それと、もしかすると彼女には凛の真意もわかっていたのかも知れない。その、躊躇いの理由が。
「もう一度……新しい聖杯を?」
「……そう、なのかも知れないの」
 イリヤからの目配せに小さく頷きつつ、凛もその嘘に同意する。しかし、これは最善の嘘のはずだ。元々士郎を巻き込む気はなかった争いである。大聖杯のことをわざわざ告げる必要などないのだから。
「そう、か。あの爺さん、そんなことを……」
 士郎の瞳に、僅かだが力が戻ってきたように感じる。彼は、おそらく戦うのだろう、もう一度、あの剣霊と。あれほどの完敗を喫して、なおその信念を曲げずに。
 そう考えた瞬間、思わず剣の丘に独り立つ士郎の背中が凛の脳を掠めた。
 仮にアサシンとの戦いに勝利できたとしよう。しかし、このまま戦い続ければ、いつか必ず彼はあの荒涼とした剣の丘へと辿り着く。凛はそれが怖ろしかった。
 夢で共有した、アーチャーの記憶――あれは衛宮士郎が行き着く果てだ。理想に殉じ、信念を曲げず、生涯の全てを費やし、そうして戦い続けた果てに士郎が到達するであろう無限剣丘。
 彼はそこで独り。敗走はなく、勝利し続け、そして……折れる。
 いつか彼があそこに行き着くことは、もはや止めようのない事なのかも知れない。彼がセイバーに誓った生き様とは、そういうものだろうから。それでも、凛はあのような場所に彼を踏み込ませたくはなかった。踏み込めば、やがて己を呪う日が来る。アーチャーは元より、何よりもセイバーだってそんなことを望みはしないはずだ。
 なのに、自分ではきっと彼を止められない。だからずっと躊躇ってきた。
「取り敢えず、帰って寝よう。今朝は桜は朝練の都合で寄れないって言ってたし、藤ねぇもそれに付き合うとか言ってたから」
 そう言って、前を歩く士郎の背中が、凛には一瞬赤く染まって見えた。





◆    ◆    ◆






 道場の中央で正座し、士郎はジッと瞑目していた。
 眠った方がいいとはわかっているが、アサシンから投げかけられた言葉が頭にこびりついて離れない。
 芯鉄。
 折れぬために、必要なもの。侍は、衛宮士郎にはそれが足りないのだと言った。
 彼が何を言いたかったのか、わかる気はする。元々、借り物の理想をガチガチに固めて生きてきたのだ。芯が無いと言われれば、確かに元より無いのである。だが、それは半年前に既に突き付けられた問題だ。空っぽだった自分が夢見た理想。それは衛宮切嗣という男が追い求めたものに過ぎず、自分は彼の遺言に縛られて借り物の理想に縋って生きてきただけなのだ、と。
 だが、それでもそう生きること自体は間違いなどではない。そう結論を出した。なのにまだそれだけでは芯足りえないのであるとすれば、果たして何を持って衛宮士郎の芯鉄とし、あの男に挑めばいいのか。
 頭の中に、聖剣とその鞘を思い描いてみる。
 自分が最強と信じるもの。分かたれた半身に等しい、もしくは愛した彼女そのものとも言える剣。
 あの時、アサシンの秘剣が迫った時、無数の武具を思い描きながらも、最後に至って浮かんだのはやはり聖剣とその鞘だった。
「……でも、聖剣はあっさりと砕かれた」
 わからない。
 無限に続く、まるで墓標のような剣の群れ。自分の最奥に息づくその光景に勝りえるのは一振りの剣と鞘のみ……だと、思う。だが、ならば何故砕かれたのだ。いったい自分には何が足りないと言うのだろう。
 次第に意識が朦朧としてくる。精神、肉体、ともに僅かでも構わないから眠りを欲しているのだろう。
 セイバーの顔が浮かぶ。
 怒った顔も、笑った顔も、彼女の全てを鮮明に覚えている。無論、あの黄金の夜明けで想いを告げられた時の顔も。
 美しきアルトリア。その身は王として、剣として、しかし最後は少女として自分に応えてくれた。だから誓った。だから想った。
 唯一にして絶対、究極の一……もし、仮に自分にそんなものがあるのだとしたら、それは、そう、それはきっと――
 意識が沈む。
 微睡みの中、士郎はぼんやりとだが、ようやく答えに近付けた気がした。



「シロウ、寝ちゃったみたいだね」
「あんたは寝なくても大丈夫なの?」
 士郎が沈没したことを確認し、二人は道場の入口から離れた。どうやら、最後まで自分達が様子を窺っていたことには気付かなかったらしい。
「わたしは大丈夫。傷も浅かったし、結局魔術を使ったわけじゃないから」
 そう、結局のところ何も出来なかった。だが、それはイリヤのせいではない。彼女の身体はまだ魔術を満足に行使出来る状態ではないのだから。とは言え、それを理由にしても納得がいくことではない。
 凛の方は、聖石を使って無理矢理に体力と意識を回復させてある。もう一晩か二晩くらいはこれで活動に支障はない。起きがけに弱い彼女だが、起き続けている分にはかなり無理が利くのである。
「で、結局のところ、臓硯が何をしようとしてるのかわかる?」
 居間につくなり本題に入る。臓硯は、今更何をしようとも間に合わないと言っていた。となれば、老魔術師は今日明日中には事を成就させるつもりに違いない。残された時間はあまりにも少ないのだ。
「……わかんない。あの魔法陣にしても、召喚出来るのはアサシンみたいな英霊に匹敵する亡霊が精一杯みたいだし」
 聖杯に必要なのは、あくまで根源にある英霊の魂なのである。如何に戦闘力などで英霊に匹敵しようとも、亡霊はあくまで亡霊。聖杯の生け贄にはなれない。
「ということは、臓硯はアサシンを単に目的遂行のための露払い役として召喚したのかしら?」
「かしらね。わたし達を倒すためだけにあんなのを召喚するんだから、念の入ったことだわ」
 念の入ったこと、確かにその通りだ。臓硯は周到な男である。常に万策を張り巡らし、無駄なく目的を遂行しようとする。アサシンはまさしく最強のボディーガード、敵から身を守るにも邪魔者を排除するにも彼以上の駒はないだろう。
 しかし、何かが引っかかる。
 そもそも、臓硯は身の隠し方を含め、生き延びるという一点にかけてはあらゆる魔術師の中でもトップクラスだ。昨夜のことにしても、あの怪老が自ら姿を現さなかったならば自分達は最後まで何に気付くこともなく魔法陣の後始末だけさせられて全てが終わっていたことだろう。
「……ちょっと待って、イリヤ」
「どうしたの?」
 ならば、どうしてわざわざ姿を現したのか。自分達を殺して完全に後顧の憂いを断つために? 馬鹿げてる。それならアサシンがどういうつもりだろうと臓硯が見逃してくれるはずがない。
 あの老魔術師にとって、自分達の存在などとるに足らないもの。生きていようと死んでいようと気にならない。
 それならば、どうしてあの時あの場に現れ、自分達を……
 その時、電話のベルがまるで警鐘のように鳴り響いた。
「丁度お昼時か……誰だろ?」
 イリヤが受話器を取ろうと席を立つ。
 嫌な予感がする。いや、予感ではないのか。もう凛の中では答えが出てしまってるのだから。
「あ、タイガ? どうしたのよいったい」
 イリヤが応対する。相手は大河らしい。それも、何となく予想出来ていた。
 自分達三人が今この場にいる以上、その異常に最も早く気付くのは彼女と行動を共にしているはずの大河しかいない。
「うん。うん。……え、サクラ?」
 ドクン、と、心臓が跳ね上がる。
 わかっていた……ついさっき、わかってしまったこと。けれども、実際に妹の名を聞くまでは否定したかったこと。
 その先は聞くまでもない。聞くまでもないことだ。
「今朝はまっすぐ学校に行ったんじゃないの? うん、見てないよ」
 この戦い、後手に回りすぎた。いや、悪いのは桜を関わらすまいとするあまり、彼女のことを切り離して考えすぎた自分だ。桜はもう関係がないのだと、都合良く楽観的に考えすぎていた自分の責任。
 そう、自分はいつだって肝心な時にしくじる。その悪癖をここまで呪わしい、忌まわしいと感じたのは、初めてだ。
「うん。じゃ、切るよ。コモンなんだから、部活のほう、しっかりね」
 電話を切り、振り向いたイリヤが見たのは、絶望と怒りが綯い交ぜになった表情で血が滲むほどに拳を握りしめる凛の姿だった。






〜to be Continued〜






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