Turning Fate/The end for beginning



episode-08
〜一片の想い〜


◆    ◆    ◆





 その生涯は、まさしく剣に捧げたものであった。



 月も星もない、静かな深い闇夜のことであったらしい。
 叫び声を聞きつけた僧が真夜中の山道を駆け、その場に辿り着いた時には親と思わしき男女は既に野盗の手によって斬り殺されていた。父親は浪人風、母親は普通の町娘であったろうと思われる。野盗の数は三人。おそらくは待ち伏せて不意をついたのだろう。浪人の亡骸には抵抗した様子は見られなかった。
 その骸を背に、少年は立っていた。
 おそらくは齢十にも満たなかったであろう少年は、亡父のものと思しき刀を手にし、野盗へとその切っ先を向けていた。虚ろな目で、しかし震えはなかった。思わず嘆息してしまうほどに美しい、堂に入った構え方だった。
 長い。
 滑稽なほどに長い刀。長刀と言うにも長すぎる、己の背丈に倍するほどのそれを構える少年に、野盗達は明らかに気圧されていた。
 鍔のない、五尺を越える奇剣。厚みがあるわけではなく、本当にただ、長い。
 ユラリ、と。闇を裂くようにその刀身が流れた。
「……へ?」
 悲鳴など無い。ただ、肉と骨が断たれる気味の悪い音だけが響き、手前にいた野盗の躯は地面に沈み込んでいった。
 たった今一人の男を斬って捨てたであろう少年の痩せた身体は、まるで元居た位置より一歩も動いていないかのように微動だにせず、再び残った野盗達へと刀の切っ先を向けている。
「……こ、この餓鬼!」
 我に返った野盗が、手にした山刀で斬りかかろうとし、少年の間合いへと一歩踏み込んだ。意外なほどに素早い。
 しかし、その程度の素早さなど無意味。
 山刀を振り上げようとしていた野盗の右肘が首と同じ高さに並んだ瞬間、真横に線が走った。肘から先は宙を舞い、斬り裂かれた首から噴き出した血飛沫が少年の顔を染め上げる。
「ヒ、ヒィッ!」
 最後に一人残された野盗は、逃げるために振り向こうとした瞬間、首の命脈を断たれていた。自分の身に一体何が起こったのかもわからぬといった顔で、男は絶命した。
 血溜まりの中たたずむ少年の眼は、自分が殺めた野盗達の死体など一瞥もせず、父母の亡骸を飽くことなくジッと見つめていた。
 一体どれほどの間そうしていたことだろう。
 ぐらり、とその痩身が倒れ込もうとするのを、駆け寄った僧が受け止めた時、少年は気を失っていた。



 近くの寺へと運び込まれた少年は、二日ほど寝込み、目を覚ました。
 しかし目を覚ましたまでは良かったが、自分の名前も、素性も、何一つ覚えていないのだと言う。あの晩、気を失う直前まで見つめていた両親の顔すら思い出せないと少年は言った。
 唯一覚えているのは、剣。剣を振るった感触。剣の持つ美しさ。
 僧は彼を引き取ることにした。その僧は退魔を生業とする流れの者であったが、寺に身を落ち着け、少年を育てることにした。
 寺の名は柳洞寺。
 明かりの無い夜に拾われ名前を無くした少年は、無明と名付けられた。
 柳洞無明。無明とは無名でもある。
 しかし、そのようなことはどうでもよかった。過去も光も名前も無かろうと、手には一振りの剣がある。失った過去も、過ぎゆく現在も、到達する未来も、その全てが剣と共にある。剣こそが光であり道、それで充分だった。
 だから、剣で身を立てようとも、名声を得ようとも思わなかった。
 心の赴くままに、最強という幻想を目指した。
 幾たびの戦場を越えて不敗。
 ただ一度の敗走も、敗北もなく、余人の理解など無論求めようともせずに、直向きに究極を目指した。
 一振りの剣への想い故に、曲がることも、折れることもなく――生涯を通して貫いた儚き幻への想いは、死してなお続いている。
 その想いに一点の曇りも、偽りも、誤魔化しもない。
 男の名は無明。
 無明であり、無名でもある。
 その生涯は、まさしく剣に捧げたものであった。
 そしてそれは、これからも変わることなど無い。





◆    ◆    ◆






 最後に残った相手が二刀流というのも、奇妙な因縁である。
 アサシンは剣を交えながら苦笑した。
 架空の英雄、佐々木小次郎は宮本武蔵の好敵手として生み出された幻想であるが、諸説は紛々あれど武蔵は一般的には二刀流の遣い手として知られている。佐々木小次郎として呼び出された自分が、二刀流の遣い手と剣を交えているのだから、これはなんとも愉快なことではないか。
「……っと、しかし手を抜ける相手でもないな」
 左右から緩急自在に繰り出される双刀は、まさしく一流。生前に果たし合った剣士達の中にも、これほどの遣い手はどれだけいたものやら。この国には、おそらく自分や目の前の二刀遣いのように名も知れず果てていった剣士がそれこそ山のようにいたことだろう。
「まったく、勿体ないことよ」
 生前は名声を求めることなど馬鹿馬鹿しいと思ってもいたものだが、しかしこうして死後も強者と剣を交えることの出来る立場に立ってみて初めて、英雄として後世に名を残すのも悪くなかったのではないかと思える。
 己が生涯で手に入れた全てを出し切って、未知なる強豪と戦うことが出来るなど、剣士としてそれに勝る歓喜があるだろうか。
 英霊とは、アサシンにとってそれだけで魅力的な存在であった。
「ぬぅはッ!!」
 残像を伴った双刃が、まるで剣の雪崩のように押し寄せてくる。鍛え抜かれた肉体、凄まじい膂力と技巧が織りなすまさしく奥義と呼ぶに相応しい技。
 ならば、自分も秘剣でもって応えるのみ。
「……む……」
 独特の構えから繰り出される、アサシン必殺の剣。
「――燕返し――!」
 どんなに素早く無数に見えようとも、相手の剣の実体は二本のみ。多重次元屈折現象による同時三本現界と相対するには、どうしても一本足りない。
 金属が弾け合う音が、ほぼ同時に二度。
 最後に聞こえた一つの音は、肉に刃が喰い込む生々しく鈍い音だった。
「……ぐ、あ……」
 名も知らぬ二刀遣いの顔に、痛みによる苦悶と、それとは別に満足気な野太い笑みが浮かぶ。だが、それすらも一瞬。
 肉体も、両の手に握られていた二振りの剣も夢か幻ででもあったかのように消え去り、その場にはアサシン一人が残された。



「うぁあああああああぐぅううぁああああああああ……!」
 苦痛に耐えきれず、桜は叫び、頭を抱え身体を丸めた。
 痛みとも快楽ともつかない感覚が全身の神経に絡みつき、締め上げられるような苦しみが津波のように理性を押し流そうとする。張りのある若い肌に、玉のような汗がくまなく浮かび、全身に上気したように赤みがさしていた。
「苦しいか、桜よ?」
 そんな孫娘の姿に目を細め、臓硯はほっほっと小気味よい笑いを漏らした。
「苦しかろうなぁ。如何にお前の身体が聖杯であろうとも、ワシが無理矢理に調節した紛い物。しかも、流れ込んでくるのも英霊ではない紛い物共の魂じゃ」
 両肩を抱きしめるかのように押さえ、桜は息も絶え絶えに押し寄せる感覚に負けまいと歯を食いしばっていた。流れ込んでくる膨大な量の知識と記憶が、間桐桜の自我を塗りつぶそうと襲い掛かってくる。
「じゃが、耐えるのじゃ。さすれば、ワシらの願いはついに叶えられることになる。もっとも、お前が耐えられぬようであればやはりアインツベルンの小娘に正統な器としての役割を果たして貰うしかないわけじゃが……」
「イリヤちゃんには、手を出さないでください……ッ!!」
 翁の口から出た脅迫の文句に、桜は両の足に力を込め、思い切り頭を振るとあらゆる苦痛を振り払った。
「約束……した、はずです。衛宮の家の人達には……手を、出さない、って。何も、言わない……黙っている、って……だからぁ……!!」
 全身全霊でもっての懇願。
 しかし、その身体は哀れなほどに弱々しい。力を込めたはずの足は既にガクガクと震え、汗も絶え間なく流れ続けている。
「おお、おお、桜よ。わかっておる。お前がそんなにも健気に聖杯の役を果たそうとしてくれておるのじゃ。衛宮の家の者達には、何も言わぬ。手も出さぬ。その約定を、違えはせぬとも」
 老魔術師の言葉に安堵したのか、桜はもう一度震える身体に鞭打って瞑想した。
 今の桜の身体は、本来蓄えるべきではない魔力と、大聖杯に混入していたアベンジャーの悪意とが渦巻き、禍々しい魔力の渦と化している。
 聖杯の力の元となるのは、根源に根ざす英霊達の魂であり、魔力だ。大聖杯によって孔の向こう側から召喚された彼らの魂が一時的に聖杯の器へと蓄えられ、根源へと回帰しようとする時、そこに至る道が開かれる。根源から呼び出されたものは、例外なく根源へと還ろうとするのである。
 そこが、臓硯の狙い目だった。
「終わったぞ、御老」
「ふむ、御苦労じゃったな、アサシン。英霊もどき六体を一度に始末するのは、流石のおぬしでも骨じゃったろう。ゆっくりと休んでおくとよい」
 元よりアサシンには苦しみに喘ぐ少女を鑑賞し楽しむような下衆な趣味は無い。言われずともすぐにこの場を離れるつもりではあった。
「では、私はこの大空洞の中腹あたりに陣取るとしよう。何かあったなら、呼んでくださればいい」
「……あ奴らが来ると、そう思っておるのか?」
 臓硯の問いに、アサシンは答えない。
(六体ものもどきを倒し、なお飢えるか)
 その飢えは、不死に焦がれる自分と同様、満たされることなどまずあり得ない類の飢餓なのだろう。
 だが、臓硯はそこに王手をかけた。
 五百年の長きに渡り求め続けた永遠。それがようやく手に入る歓喜に老魔術師の身体は打ち震えた。





◆    ◆    ◆





「後手に……回りすぎたわね」
 意識を集中し感知してみたところ、間桐邸に凛が張っておいた結界は綺麗に破られていた。昨晩姿を現した臓硯は間違いなく本物であったはずだから、この芸当すらも使い魔の所業であろう。それでいて術者に破ったことを気付かせないほどの手際は、敵ながら見事と言うほか無い。
 何かあった時はすぐに連絡出来るようにと、桜には念話用の魔晶石を渡してあったのだが、おそらくは自分達を引きつけている隙に『衛宮家縁の者達に手出しされたくなければ』とでも言って連れ出したのだろう。
「これで、聖杯の器まであの妖怪爺の手に落ちた、ってわけか」
 凛のその一言に、イリヤは少なからず驚いていた。
「リン、気付いてたの? 桜が……ゾウケンの用意した聖杯の器だって」
「当たり前よ。あなたの身体に施術したのも、桜の身体を調べたのもわたしよ? 二人の魔術回路が妙に似通ってることくらい、気付いてたわよ。……気付いて、いたのに……ッ!」
 やもすれば噴き出しそうになる激情を必死に押しとどめながら、凛は現在の状況を把握するために頭を総動員させた。
「それでも、あんた達が言いたくないのなら、気付かないふりをしてるのが良いんだろうって……わたしの責任だわ」
 桜とイリヤへの気遣いのつもりが、判断を誤らせた。もっと追究し、お互いに考え合うべき事柄であったのだ。甘かった。この半年の間に、甘くなりすぎていた。
「悪いのはリンだけじゃない、わたしもよ」
 桜が自分と同質の存在、聖杯の器として身体を弄られた存在であることなど、イリヤは出会う前から感知していた。おそらくは、桜も同様だったろう。
 だが、マキリには聖杯の器を作り出す技術はない。臓硯が無理矢理に調整したのであろうソレは非常に歪で、まともに機能するかどうかの確実性に欠けるものでもあった。おそらくは、前回の聖杯戦争時に傍観を決め込んでいたのもそのためだろう。
 よって、どうやって聖杯を満たすつもりなのかはわからないが、もしも臓硯が動く場合は自分を狙ってくるのではないかとイリヤは踏んでいた。イリヤの身体は既に聖杯としての役目を成せなくなっているが、監視用の蟲も遠坂邸の結界内に入り込んだ跡はないからその事実を老魔術師はまだ知らないはずだ。
 自らを囮にして、隠形の腐蟲を誘き出す。それがイリヤの立てた計画だった。
 だから、昨夜も臓硯はてっきり自分を連れ去るためにその姿を現したのだと思っていたのだが、結局のところ囮のつもりが囮にしてやられてしまった。
「ゾウケンからしてみれば、聖杯としての機能性は兎も角、扱いやすいのはサクラだものね」
 沈黙が重くのし掛かる。
 だが、黙っていてもどうしようもない。今の自分達に出来ることは、現状を打破するための方法を模索する以外にはないのだ。そして、そのためには臓硯が何を企んでいるのか、今度こそは間違えないよう推察する必要がある。
 サーヴァント召喚システムを簡易化した魔法陣。
 自分達を始末するため以外の目的でもって召喚されたであろうアサシン。
 連れ去られた聖杯、桜。
「聖杯に必要なのは、根源から召喚された英霊の魂。それを一時的に聖杯にとどめ、解放することであらゆることを可能にする根源への道を開く……それが聖杯のシステム、だったわね?」
「ええ、そうよ。召喚された七騎のサーヴァントのうち、聖杯を完成させるために必要な魔力は約六騎分。その事実を覆い隠すために、最強のマスターとサーヴァントのみが聖杯を得ることが出来る、なんて嘘を広めた」
 確認のために述べ合ったそれらを頭の中で咀嚼しながら、現状と照らし合わせてみる。
 聖杯システム、これを考案した人間は間違いなく天才だったろう。だが、その何処に当てはめてみてもアサシンの存在は完全にイレギュラーだ。なのに臓硯はアサシンを必要とした。
 システムを完成させた人間の一人であるはずの臓硯が、どうして――
「……ちょっと待って、イリヤ」
「え?」
 引っかかるのは、やはりそこだ。
 アサシンは英霊ではなく、ただの亡霊だった。しかし、それでもシステムに則って召喚されたサーヴァントであることには違いない。結果、大聖杯は彼をサーヴァントとして機能させるために、孔の向こうから英霊として必要な知識などを与えた。
「アサシンには、孔の向こうから英霊に必要最低限のものが与えられて、彼が倒れた後それは普通の英霊と同じように向こう側に還ろうとしたのよね?」
「うん、そうだけど……」
 聖杯戦争のシステムに則っている限り、大聖杯は矛盾を修正しようと働く。言うなれば、アサシンは大聖杯が矛盾解消のために生み出した疑似英霊とでも呼ぶべき存在だ。
 そこを、逆手に取れば……
「それじゃ、奴が完成させた簡易魔法陣で呼び出した準英霊クラスの亡霊で大聖杯を誤作動させて、人為的にアサシンのような疑似英霊を作り出すことは……可能なの?」
「……あ」
 そこに至って、イリヤも凛が何を言いたいのか理解した。
 サーヴァントシステムを簡易化させた魔法陣。冬木市に充満している聖杯の残留魔力。そして、英霊に匹敵するだけの魂。
 大聖杯に誤作動を起こさせるなら、充分すぎるだけの材料が確かに今のこの町には揃いすぎている。
「純英霊を召喚するにはまだ早すぎるけど……英霊に必要なものくらいなら、確かに今の段階でも無理すれば呼び出せる」
 魔法陣とアサシンと聖杯、その全てが今、繋がった。
「それが狙いよ! その結果、生まれ出た疑似英霊達を倒すかどうかして、桜の中に一時的に溜め込み、解放すれば……」
 僅かにだが、根源への孔は開く。その僅かに生じた孔を無理矢理にこじ開けられるだけの魔力が、今の冬木には充満している――
「リン、サクラの魔力が儀式を行うのに最も適してる時間は……!?」
「わたしと同じよ、多分、午前二時……!」
 言うが早いか、凛は猛然と玄関へ向け駆けだした。
「リン、どうするの!?」
「教会へ行って来る! ありったけの聖石と魔晶石を借りてくるから、士郎が起きたらすぐ出られるようにしておいて! ……桜のことだけは巧く誤魔化しておくのよ!?」
 そう言い終わるのとほぼ同時に、玄関が開閉する音がけたたましく響く。
 臓硯が潜んでいる場所は、まず間違いなく大聖杯のある場所。柳洞寺の地下に広がる、大空洞の最奥。
 現在、午後の二時。全てが決するまで、残された時間は、十二時間。





◆    ◆    ◆





「桜の中の魔力が安定し、全ての準備が整うまで……残り十時間あまりと言ったところか。いやはや、待ち遠しいのぅ」
 先程まで苦痛にのたうっていた桜も、今や脱力しきって気を失っている。荒れ狂っていた渦が落ち着き始めてきたのだろう。アベンジャー、アンリ・マユとの同化が始まっているのかも知れない。
 五百年も待ったことに比べれば、十時間など瞬きするほどの時間に過ぎないと言うのに、それがこんなにも待ち遠しい。
 前回の聖杯戦争から半年。あらゆることが臓硯に都合よく運んだ。
 何よりも感謝すべき相手はキャスターであったやも知れない。彼女がシステムに逆らって動いてくれたことが、今回の計画の始まりであったのだから。
 疑似英霊による、大聖杯の誤作動。完璧なシステムであるが故に生じた穴は、素晴らしい盲点であった。使い魔の使役に優れた臓硯であっても、この幸運な偶然の重なり合いが無ければけして気付かなかったであろう。
 そして、アサシン。さしたる魔力もなければ、必殺の宝具もない。人に語れるだけの名声も持たない、ただの亡霊。所詮は紛い物と高をくくっていたその男が、騎士王や蒼い槍兵、狂戦士とも互角に渡り合っているのを監視用の蟲を通して視た時、身震いがした。
 この強さ、利用しない手はない。
 臓硯が簡易魔法陣によってアサシンを召喚したのは、凛の読み通り、衛宮邸の面々への露払い役としてなどではない。桜の身体と精神が耐えきれなかった時の保険としてイリヤだけは確保しておきたかったが、それ以外では小僧や小娘の事など出来損ないの魔法陣と邪霊の始末に精々利用させてもらおうとしか考えていなかった。
 アサシンを召喚したのは、臓硯が行おうとしている計画に彼程の手練れが必要だったからだ。
 冬木市中の“場”を実験場としてようやく完成に至った簡易魔法陣は、準英霊クラスの亡霊を召喚するのに足る、性能的には非情に満足のいくものであった。
 現在、この土地には一度聖杯に集まった残留魔力が充満している。その状態でサーヴァントシステムに則った召喚儀式を行い亡霊達を召喚してやれば、大聖杯はおそらく誤作動を起こし、かつてのアサシンのように彼らを疑似英霊とするため必要なものを根源から招き寄せるはず――臓硯はそう考え、そしてそれは正解だった。
 確かに純英霊を召喚するにはまだ早すぎる。しかし、英霊に必要なものを召喚するだけなら、今の状態でも充分可能だったのだ。
 アサシンが必要だったのも、そのためだ。せっかく疑似英霊を作っても、それらを始末出来るだけの者がいなければ全くの無意味。現界させるための魔力に不自由はせずとも、流石に六体もの疑似英霊を令呪などでコントロールしきるのには無理があった。
 英霊として通用するだけの遣い手達を確実に倒せるであろう強者。アサシンは、臓硯の期待通りに疑似英霊達を屠ってくれた。
 その結果、桜の中には、六体分の英霊に必要なものと、本来は根源と無関係の魔力が満ちている。
 これらを一気に解放し、僅かに開いた根源への孔をこじ開ける――本来はそれだとて到底不可能なことだが、今の冬木市に充満している魔力を利用すれば充分に可能。かつて大聖杯のシステム完成に携わった臓硯である。必要な魔力値がどの程度であるかは理解している。
 最後の不安材料であったアベンジャーの悪意も、いまだ原因は不明だが確実に弱体化しているようだ。この調子なら、桜の意識が乗っ取られることもないだろう。そうなれば、もはや自分を脅かす存在などいやしない。
 第三魔法の成功例、アンリ・マユと同化し不死化した桜の肉体を乗っ取って後、神の座たる根源へと到達して全てを手に入れる。
 同胞達よ、見ているだろうか。マキリ臓硯の旅路の果てを。
 臓硯の腐った思考は、全てを手に入れた後のことなど考えてすらいない。それがどれだけ愚かしいことなのかにも気付かず、彼はただ狂喜した。
 冬の聖女を核とする大聖杯が、悲しく鳴動する。
 全てが決するまで、残された時間は、十時間。





◆    ◆    ◆





 うっすらと開けた瞳に飛び込んできたのは、赤い色。
 沈みかけた夕陽の赤い光が道場を染め上げている。
「起きた、シロウ?」
「……イリヤ。俺、どのくらい寝てた?」
 上半身を起こし、すぐ隣で膝を抱え座り込んでいた少女に声をかける。
 頭を振り、瞬きを繰り返す。伸びをすると、間接がポキポキと軽く音を立てた。
「お昼頃からだから、六時間くらいかな? よく寝てたよ」
 そう言ったイリヤの笑顔は、何処か硬い。
 自分に対しては、いつも必要以上に無邪気に接しようとする彼女には珍しいことだ。それだけに、事態が深刻なのだということがわかる。
「……何か、あったんだな」
 士郎の言葉に、少女はコクリ、と頷いた。
「でも、ごめんねシロウ。何があったのかは、わたしからは言えない。ただ、時間がないの」
 そう言われたなら、無闇に詮索して相手を困らせる士郎ではない。ただ、そうか、とだけ答え、もう一人居るべき人物を求めて視線を彷徨わせた。
「遠坂は?」
「必要なものを受け取りに、教会に行ってる」
 赤い光が、徐々に消えていく。
 夜が、来る。最後かも知れない、夜が。
 イリヤは守りたかった。この衛宮の家に集まる人達を守ることで、亡き父の想いに触れていたかった。そうすることで、自分がただのイリヤスフィールであることを確認していた。
 それなのに、今此処に桜は居ない。
 士郎も、凛も、再び命を懸けた戦いへ赴かなければならない。
「……そんな顔するなよ、イリヤ」
「シロウ?」
 俯いていたイリヤの頬を、士郎の手が優しく撫ぜる。
 大きな手だった。もうほとんど覚えていない、父の手のようだった。
「絶対に、何とかしてみせるさ。俺の夢は、正義の味方になることなんだから」
 赤い色が完全に消える。なのに、士郎の姿が赤くそまったままに見えるのは何故なんだろう。
 イリヤは全てを知っている。かつて聖杯だった少女は、五度目の聖杯戦争で果てていった英雄達の記憶と知識を受け継いだ。無論、その全てを覚えたままではいられない。精神の崩壊を防ぐため、吸収された記憶と知識のほとんどは意識の奥底に封印され、二度と引き上げられることはなくなる。
 だが、それでも……彼女の狂戦士の命を六度も奪った赤い弓兵の強烈な記憶だけは、微かに残り続けていた。
 無限に続く剣の丘で、彼の者は常に一人。
 尊き理想を胸に、けしてそれを曲げることなく突き進み、しかしその硬き信念が故についには折れてしまった、一振りの剣の悲しい記憶。
 彼は何を想って理想に殉じたのか。
 彼は誰を想って理想に殉じたのか。
「ねぇ、シロウ」
「どうした?」
「シロウは、セイバーのこと、好き?」
 突然のことに面食らった士郎だったが、そう聞いてきたイリヤの表情は真剣そのものだった。
「ああ、好きだったよ」
 だから、すんなりと答えた。
 好きだった。彼女のことが、本当に好きだった。
 中身の無い、がらんどうの自分。己のことなど省みず、他人の幸せばかりを願っていた自分にようやく出来た、一番大切な存在。二度と逢うことのかなわない、永遠の想い人。
 その答えをどう受け取ったのか、イリヤは再び俯いていた。
「……どうして……」
 下を向いたまま、ごく小さな声で呟く。
 そして、もう一度、
「どうして、過去形なの?」
「……え?」
 顔を上げ、これ以上ないほど悲し気にそう言って、イリヤは立ち上がった。
 士郎を見つめる瞳は、優しく、しかし涙が滲んでいた。
「わたしも、準備があるから、行くね」
 そのまま士郎に返答する隙を与えず、素早く道場を出ていこうとする。
「……あ」
 呼び止めようにも、士郎は言葉を続けられなかった。
 どうして、過去形なのか?
 それは……いつまでも囚われていたくないからだ。彼女を好きだという気持ちに偽りはないが、その想い出に縋って生きることは、愛した彼女に対する冒涜だと思うが故に、未練を断ち切った。後悔を否定した。
 彼女を愛した気持ちに偽りはない。でも、それでもこの生き方を、彼女に恥じない生き方をすると誓ったからには、無理にでも振り払って進んでいくしかないのだと必死に言い聞かせて……
「今のシロウの想いは、どこに向かってるの?」
 最後にそう言い残し、イリヤの小さな足音が遠ざかっていった。



 暗い道場に一人取り残された士郎は、ぼんやりと愛した少女の顔を思い浮かべてみた。
 今でも鮮明に思い出せる、愛おしい彼女の顔。
 その顔に、聖剣とその鞘のイメージがだぶり、やがて夢に見た丘が――夢の中で彼女が立っていた丘が脳裏を埋め尽くしていく。
 丘に突き刺さる、無限の剣で出来た墓標。そこに立つ彼女の姿は凛々しくも儚く、神々しいまでに哀しい。
 ああ、だからあの剣の群れは墓標なのだ。
 自分の心を殺す度に、掲げた理想のため誰かを犠牲にする度に、墓標は増え続けていったに違いない。
 荒涼とした心象。
 まるで剣そのもののように冷たく、硬質で……
「――I am the bone of my sword.――この身は剣で出来ている、か」
 故に頭に浮かんだのは、そんな一節。
 空っぽだった自分が、刃で覆われていくイメージ。それは一体いつの日から視えていた幻影だったのか。セイバーを守るために英雄王の前に立った時からか、切嗣から夢を受け継いだ時からだったのか、それとも、あの地獄の光景の中全てを失った日から……
 漠然としたイメージは兎も角、明確なカタチを得たのは、おそらく初めて剣を投影した時からに違いない。
 この身は剣で……そう、硬い、硬い剣で出来ている。けして曲がることのないそれはまさしく皮鉄。無限の、全てが芯鉄のない皮鉄のみの剣の群れ。そのような身体に覆われた心に、あるとすればそれは失われた者達や王として生きた彼女への誓いのはず。
「――Steel is my body,and fire is my blood.――血潮は鉄で、心は硝子」
 心の奥底から湧き上がる言霊。呪言のイメージは冷え冷えとし、硬質だがひどく脆弱で、そしてもの悲しい。
 イメージする。自分にとっての究極を。
 赤い弓兵が言ったとおり、衛宮士郎に出来ることなど、所詮はこうしてイメージすることだけなのだ。
 真っさらで空っぽの心象にやがて彼女の顔が浮かび、次第に剣の丘へと転じていく。清流の侍が突き付けた命題の答え、己の芯鉄はやはりそれしかないはず。否、そうであるべきなのだ。彼女への想いを乗り越え、理想を貫くことこそが……今の自分の全てなのだと。
 だから、この呪文は、まるで彼女のことのよう。
 彼女が掲げた理想、駆け抜けた生き様のままに。
「――Have withstood pain to create many weapons.――彼の者は常に独り、剣の丘で勝利に酔う」
 そこまで唱えた時、道場の入り口から息を呑む音が聞こえた。
「士郎、あなた……その呪文どこで覚えたの……?」
 月明かりが映し出す少女の姿。戸口に手をかけ、強張った顔で立っていたのは、凛だった。
「遠坂、帰ってたのか」
 夜の空気にあてられたのか、彼女の顔は心なしか蒼白に見える。
「質問に答えなさい。その呪文、いつ何処で覚えたの?」
 言葉尻が強い。真剣、と言うよりも、必死なのか。
「いや、覚えたって言うか……うん。何となく、思い浮かんだ事を並べ立ててみただけなんだけど……」
「……そう」
 だと言うのに、答えを得た返事は存外に素っ気ない。
 凛は言いようのない絶望と焦燥に駆られていた。
 やはり近づいている。間違いなく、あの赤い背中に。
「……剣を投影した時から、かな」
 沈黙に耐えきれなくなったのか、士郎はぽつり、ぽつりと言葉を紡いだ。
「この身体がまるで剣で出来てるみたいな幻影を視るようになったんだ」
 皮膚の下に潜む鈍色の剣。自分という皮の下には、肉ではなく剣がある。
「さっきの呪文も、そのイメージからまろび出たもので……そこに、セイバーが重なったら、自然とああなってた」
 今朝の会話と言い、今日はよく彼女のことを口にする日だ。誰かの前でセイバーの名前を出すなんて、滅多になかったというのに。それどころか、先程のようにイリヤが彼女のことを口にしたのは、いつ以来だろう?
「士郎、もう一つ、聞いていい?」
 そう考えてしまったから、か。。
「あなた、セイバーのこと、どう思ってる?」
 つい今し方似たようなことを聞かれたばかりだというのに、ひどく異質な感じがしたのは。
「……さっきイリヤにも聞かれたけど、二人ともどうしたんだ? この大変な時に揃ってそんな質問……ああ、そうだ! 遠坂、お前が帰ってきたって事はもう準備は出来たんだろ!? 急いで行かないと――!!」
「質問に答えなさい!」
 有無を言わさぬ、剣幕。立ち上がり、戸口へ向かおうとする士郎を押し止め、凛は冷たい視線で彼を見やった。
 はやる気持ちを制され、渋々と士郎も凛と向かい立つ。
「春先……だったかしらね。わたし、一度だけあなたにセイバーのことを聞いたことがあったの、覚えてる?」
「……覚えてるよ」
 聖杯戦争が終わって二ヶ月程だったか。皆の学年も上がり、イリヤもこの町に馴染んできた頃。それまでただの一度もセイバーのことを士郎の前では口にしなかった彼女が、一度だけ、少女を失った心情について問うてきたことがあった。
「あの時、あなた言ったわよね。『未練なんて、きっとない』って」
 そう、未練も後悔もない。
 彼女は最後に少女としての想いをぶつけてくれて、自分はそれで満足した。だから進むことが出来た。夢に向かって。理想を抱いて。
「……ああ。未練なんてないし、想い出に囚われた生き方はしたくない。あいつは、最後に言ってくれたんだ。……その、『愛している』って。でも、それでもあいつはその誇り高い生き方を貫くことを迷わなかったんだ。だから、俺も誓った。絶対に理想を貫いてやろう、って」
 それは今も変わらない。
 自分の中でそう決着をつけた以上、今さら何を悔いることがあるというのか。
「そうね。その答えを聞いた時、わたしも納得したわ。あなたがそうやって前に進むというのなら、それでいいと思った。想い出に浸るわけでもなく、彼女とのことにスッパリとケリをつけて進めるんなら、それで構わないんだと思った」
 凛の顔が次第に下を向き、声も震えている。
「……でも、違った」
「……遠坂?」
 月が雲に隠れたのか、道場の中が一層深い暗闇に覆われる。
 遠くには虫の声が聞こえる。
「士郎、どうして誤魔化そうとするの?」
「……え?」
 闇に包まれた凛の表情は士郎からは見えない。
 それでも、今の彼女がどんな顔をしているのか、士郎にはわかってしまった。
 彼女は、悲しんでいる。
 その事実に、士郎は茫然とした。
「セイバーの生き方を美しいと思った。理想に殉じたそれを羨ましいと思った。だから引き止めなかった……」
 その一つ一つを、噛み締めるように、まるで詠うように。
「……でも、引き止めなかったんじゃない。引き止めるのが怖かったんでしょう?」
 紡ぎ出されていく言葉が、こんなにも心を捉えて放さない。
「それはそうよね、セイバーはあなたの理想そのままだもの。そこで彼女を引き止めてしまうことは、自分が美しいと思ったものを貶めることになる。貶めた責任を、一身に背負うことになる。……それが怖かったんじゃないの?」
「な、にを……」
 否定しようとして、喉がカラカラなことに気付いた。
 声が掠れる。舌がうまく回ってくれない。
「彼女が迷っていようといまいと、自分の想い一つで伝説のアーサー王の生き様を曲げさせる責任を負うのは怖い。だから、本心を誤魔化して惚れた女を引き止めもせずに、それをさも尊いことのように美化して必死に誓いとか理想という言葉で誤魔化そうとしてる」
 風が吹いた。
 さっきまで聞こえていたはずの虫の声が、聞こえない。
 理想のための犠牲、そんな言葉が頭に浮かぶ。
「……遠、坂、いい加減、に、やめ、ろよ。怒る、ぞ?」
 喉の奥から絞り出すように、全ての戒めを解き放つかのように言葉を吐き出す。だが、それはどうしようもないほどに弱々しく、呪縛は解けない。
「想い出に囚われたくない? あなたの想いって、そう簡単に想い出に出来るようなものだったわけ? 過去のことにしてしまっていいわけ? ……違うでしょ。そんなわけない。あんた、今でもあの娘のことしか見てないもの」
 否定、出来ない。
 衛宮士郎は、その言葉を否定出来ない。
「後悔してない? 未練はない? ……巫山戯んじゃないわよ!」
 怒声が響き、大気が震える。
 反響する。頭の中で、何度も、何度も。
「好きなんでしょう!? 引き止めたかったんでしょう!? なら、それでいいじゃないの! 言い訳して、誤魔化して、勝手に過去のことにして……」
「……じゃあ、じゃあどうしろって言うんだ!?」
 そこで、ようやく呪縛が解かれた。
「どんなに後悔したって、あいつはもういないんだ……全ては、全ては終わったことなんだよ! だったらせめてあいつに恥じない生き方をしようって、理想を貫こうって……そう思うことの何が悪いんだ!?」
 そう思わなければ、立ち直る事なんて出来なかった。二度と逢えない彼女に恥じない生き方を、自分がしたかったことを、美しいと思ったことを貫くためには、そうやって心の整理をつけるしかなかったというのに。
 あの時、彼女の手を無理矢理にでも掴んで繋ぎ止めることは出来たはずだ。彼女の少女としての部分はそれを望んですらいたのではないか? だが、自分はそうしなかった。そうはならなかったのだ。
 あの選択は単なる意地の張り合いだったのかも知れない。それでも、ああすることが最も美しいはずだと……なのに彼女のことがこんなにも愛しくて、だから誤魔化すしかなかった。誓い、理想、信念、夢……あらゆる言葉でガチガチに武装した。騎士王としての彼女を理想のままに美化し、少女としての想いに応えてやらなかった自分を正当化して、その後悔すらも冷たく硬い剣のカタチで荒涼とした丘に突き立てた――
「貫けばいいじゃないのよ! どうせ貫くなら、未練も後悔も一緒に彼女を愛してるんだって気持ちごと最後まで貫いて見せなさいよ!! 余計な言葉で誤魔化したりしないで、ただ好きだって想いを真ん中に据えて生きていけばいいじゃない!」
 彼女の言うことは、まるで拷問なのだ。
 忘れるのでも、想い出に浸るのでもなく。
 既にそうなってしまったことを、自分が選んだ結果の未練と後悔を抱いたまま、言い訳も誤魔化しもなく傍らにいない少女を真っ直ぐに愛し続けるなど、拷問以外の何ものでもないではないか。
 けれども、自分に足りなかったのはきっとその真っ直ぐな一片の想い。
 間違っていても構わないと、そう誓ったはずなのに、そこに誇りを見出したはずなのに、結局彼女の手を掴まなかったことを間違いだなんて考えたくもなかっただけだ。もしかしたら間違っていたのかも知れないという自分にとって都合の悪い考えをひたすらに否定して、捨て去って、誤魔化し続けてきた挙げ句の剣製では、砕かれて当然だというのに。
 彼女を失った事実が、今になってこんなにも重い。
 ああ、そうだ。手放したくなんて、無かった。
 ずっと、ずっと一緒にいたかった。セイバーに、アルトリアという少女に一人の人間としての幸せを与えてやりたかった。自分も、彼女と共に歩んでいきたかった。そして彼女も、そう願ってくれていたのではと――
 だが、それは所詮自分の独り善がりなのではないのか。身勝手な想いで彼女の気高くも尊い生き様を貶めることに他ならないのではないか、そしてそれは自らの理想をも裏切る行為ではないのかと怖れたのも事実。
 理想の鑑、誇り高き騎士王としてのセイバーと、アルトリアという名の一人の少女としてのセイバー。そのどちらもが間違いなく彼女で、切り離せないはずなのに並び立たないこの矛盾。
 結局自分は自らの理想のために騎士王としての彼女をとったのではないかと思うことが辛くて、苦しくて、悲しくて、寂しくて……だからあの時の選択は正しかったんだと必死に言い聞かせて……
 その時、雲が晴れ、月明かりが凛を照らし出した。
「そう、貫けばいいのよ。辛くても、苦しくても……不器用に、真っ直ぐに貫いて進んでいくのが、衛宮士郎なんだから」
 目尻には涙を浮かべ、しかしその顔は優しく微笑んでいた。





◆    ◆    ◆





「これ、あんたが持ってなさい」
「……宝石?」
 そう言って凛が手渡してきたのは、主に聖堂教会で儀式用に用いられる聖石に似た宝石だった。
「貴聖石よ。通常の聖石の数十倍、数百倍の魔力を蓄積してるわ。さっき教会に行って貰ってきたの」
 事も無げに言うが、貴聖石は本来聖骸布などと並んで非常に価値の高い聖遺物である。教会の老神父は、駆け込んできた凛に何も言わずに幾つかの聖石と魔晶石、そしてこの貴聖石を手渡してくれた。
「手に持って念じれば、それだけで魔力を引き出せるから」
「でも、俺なんかが持ってるより遠坂が使った方がいいんじゃないか?」
「いいのよ。あんた、ただでさえ魔力が足りないんだからこれを持っているくらいで丁度なの。……あいつらと、戦うにはね」
 腐蟲の大魔術師と、清流の侍。
 そのどちらもが、本来自分達が敵しうる相手ではない。
 だが、それでも戦い、そして、必ず勝利しなければならない相手だ。
「……士郎、最後に一つだけ……いい?」
 道場から出ようと後ろを向いたまま立ち止まり、凛は念を押すかのように士郎へと語りかけた。
「……ああ」
「……あなたの心も、身体も、墓所なんかじゃない。墓標なんて必要ないんだって、それだけは、どうか忘れないで」
 それだけ言って、駆け足気味にイリヤの部屋へと急ぐ。
 その姿を見送りながら、士郎は今一度自分にとっての芯鉄とは何なのか考えてみた。
 凛の言葉に心をえぐられ、誤魔化し続けてきた自分の本心を認め、もしかしたら余計に答えから遠のいてしまったのかも知れない。
 ただ、それでも……
 手の中の貴聖石をグッと握りしめる。
 正しかろうとも間違っていようとも、真っ直ぐな心で、セイバーのことを想い続けてみよう。
 そう考えた途端、丘の上で、聖剣がその輝きを増した気がした。





〜to be Continued〜






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