Turning Fate/The end for beginning
episode-09
〜単一剣製〜
「遅かったな」 その声に、士郎達は足を止めた。 大空洞の澱んだ空気の中にあって、その男の周辺だけは澄み切っているかのような錯覚さえ受ける泰然としたたたずまい。 三人の前に立つ最強の障害、アサシン。間桐臓硯によって呼び出された、英霊に匹敵する天才剣士。名も知らぬ亡霊。 道を空けてくれと言って、空けてくれる相手ではない。だから、何も言わない。言葉にすれば、溜め込んだ力まで一緒に抜けてしまうとでもいうかのように、士郎は無言のまま前に進み出た。凛とイリヤは一歩下がって、士郎の背中を見送る。 此処に来るまでに、決めてきたことだ。 アサシンと戦えるのは、士郎だけだと。 イリヤは最初から除外。 凛の魔術では、どんなに裏を掻こうともアサシンに中てることすら不可能。バーサーカーの嵐のような攻撃ですら見切り避けきった男に、魔弾を中てる自信など無い。そして避けられたが最後、侍は神速で踏み込み、凛の身体を両断しているだろう。 最初から選ぶまでもなかったのだ。あの魔剣に抗しうるのは、たとえどんなに力の差が歴然であっても士郎しかいないのだから。 士郎の右手には、凛から託された貴聖石が握られていた。この石の魔力を使えば、普段以上の肉体強化もさることながら、魔力の残量を気にせずに何度でも投影が出来る。限界を超えた酷使がどれほどの負荷となって戦闘後に身体を襲うかはわからないが、今は何よりも勝つことが優先である。 だから、やってやる。 何度砕かれようと、何度断たれようと、命続く限り挑み続けてやろう。 士郎の視線が、アサシンを鋭く射た。 「その戦意、申し分なし。意気込みは充分なようだな」 長刀がユラリと流れる。 その構えに、定石はない。巌流という名のそれは幻想。 ゾクリと肌が総毛立つ感覚に、しかし怖れなど抱いてはいられない。負けられない、どうしても勝たなければいけない相手だ。 貴聖石を基点に、剣を想い描く。 「ほぉ」 アサシンの口から、感嘆が漏れた。 「最初から聖剣でくるか」 聖剣、投影完了。開始から完了までの時間は、今までで最短だったのではないかと思う。それほどにすんなりと聖剣は手の中に現れていた。 不器用に、真っ直ぐに。凛の言葉が脳裏をよぎる。 だから、聖剣だけでいい。想い描くのは、彼女が振るったこの剣だけでいい。 正眼に構える。 魔力による身体強化。聖剣に宿るセイバーの動きを極限まで模倣。 真っ直ぐに駆け抜け、全力で振り抜く。 最初の一撃は、そうあるべきだろう。 「な、あのバカ!」 凛は士郎の突進に呆れかえった。確かに奇策が通じる相手ではないが、何もそこまで馬鹿正直に突っ込まなくてもいいではないか。 しかし、傍らのイリヤはそんな士郎の姿を静かに見守っている。 アサシンも、ニヤリと笑って正面からそれを打ち払った。 「うぉおおおおおおおおお!!」 獣の咆吼のように、士郎の口から溢れんばかりの気合いが迸る。 一見がむしゃらだが、しかしその剛剣はまさしく騎士王の剣。セイバーの剣を再現し、追いつこうとする衛宮士郎の全身全霊。 風が舞う。 刃が翻る。 アサシンの剣の結界は相も変わらず穴がない。完璧だ。 迫り来る剛剣をまともに受けるのではなく、流し、捌き、その返す刀で確実に相手の命を絶たんとする魔剣の冴え。 聖剣を振るいながら、やはり士郎は一定の距離までしか近付けずにいた。確実にアサシンを斬り倒すには、まだ遠い。遠すぎる。 そもそも技量が違いすぎるのだ。相手は宝具も魔力も無しに英霊達と渡り合った化け物。貴聖石から魔力を引き出すことで身体能力を限界以上に強化し、さらに聖剣を投影することでセイバーの動きすらも模倣した士郎でも、やはりアサシンとではその地力に雲泥の差がある。 互いの剣が交差すること、七合。 「あっ!」 七合目で、聖剣が砕け散り、凛もイリヤも息を呑む。 しかし士郎は止まらない。間を空けずに即座に聖剣を投影。再びアサシンの結界を抜けんと斬りかかる。 地を這うような一閃。刃と刃が絡みつくかのように合わさったかと思えば、一転して火花を散らしつつ激しく弾き合う。 聖剣の一撃を流したアサシンの剣が、右上から左下へ、空気を裂きながら凄まじい勢いで振り下ろされる。その一撃を跳ね上げ、懐に肉迫せんと踏み込む士郎に、再び迫り来る長刀。 空間を埋め尽くすかのような、剣と剣の軌跡。けたたましい金属音が大空洞の内部に反響し、二人の闘争を盛り上げていく。 「ッうあぁぁああ!!」 首狙いで飛んできた疾風の如き一撃を、力任せに払う。その途端、聖剣の刀身が中程で綺麗に断たれ、消失した。 「……今度は、十一合」 開きたての回路を総動員して、イリヤは視力の強化へとあてていた。それでも二人の剣は速過ぎて、打ち合った時にしか確認出来ない。 昨夜の戦いでは、士郎が最後に投影した聖剣は四合しかもたなかった。それが、先程は七合。今は十一合。戦いの中、次第に彼の剣はその練度を上げている。隣に立つ凛も、そう感じているようだ。 「ふむ……いいぞ衛宮……ッ!」 アサシンの剣速がさらに上がる。 しかし、迫る一撃は士郎の身体に到達出来ない。 「……むぅ!」 「!?」 士郎自身も少なからず驚いていた。新たに投影された聖剣が、まるで自らの意志で動いたかのようにその一撃を咄嗟に弾いていたからだ。 馴染んできているのがわかる。身体と、剣が、彼女への想いを軸に。 『今のシロウの想いは、どこに向かってるの?』 イリヤからの問いかけに、今なら答えられる。 衛宮士郎の想いは、常に彼女へと向かっている。その想いに、一点の曇りも、偽りも、誤魔化しもない。 彼女の手を掴まなかったことに対する後悔。彼女と共に生きたかったという未練。もしかしたら間違ったのではないかという考えを必死に打ち消し、都合のいい言葉で想いを偽ってきた。だが、今は違う。 正しかったのかも知れない。間違えたのかも知れない。後悔している。未練など溢れかえる程にある。 それら全てを含めて、セイバーを愛している。彼女を愛するという想いがあるからこそ、貫ける。 何故そう誓ったのか。 何故その理想を求めたのか。 何故そんな信念を抱いたのか。 何故、それを夢見たのか。 全ては想いがあったから。想うことこそ、全ての根幹。想いを蔑ろにして語る理想に、果たしてどんな意味があろう。 全ての人を救いたい。あらゆる悪を根絶したい。誰も悲しむことのない世界にしたい。それは、そう想ったからだ。そして、セイバーへの想いがこの身体を理想の実現へと突き動かす。 なればこその剣製。なればこその聖剣。 この一振りは、想いの結晶。故に誓いは破られない。故に理想は尽きない。故に信念は砕けない。故に――夢を追い続ける。 「くぅうううううおぉぉぉあああああああああッッ!!!」 聖剣の輝きが増す。 速度を増したアサシンの一撃を、さらなる加速で打ち払う。 腕の筋肉は悲鳴を上げている。いや、腕だけではない。脚も、腰も、胸も、肩も、全身が隈無く軋み、主にとうに限界など超えていることを告げる。 けれど止まれないのだ。止まるわけにはいかないのだ。 魔術回路もまた、許容量を遙かに超える魔力の酷使に灼き切れる寸前だった。そんなことはお構いなしに、貴聖石からさらなる魔力を汲み上げる。そうして汲み上げた途端にその力を全身に行き渡らせ、投影へと傾ける。 負けられない。負けてられない。この手には約束された勝利の剣が握られている。だから―― 「負けるはずが、無い!!」 裂帛。全ての一撃がその時点での最強の一撃。 聖剣は、ついに二十合目にも耐えきってみせた。 「……士郎」 士郎の名を呟き、凛は握りしめた拳にさらなる力を込めた。 最初は、アサシンに僅かな隙でもあれば卑怯だろうと何だろうと横槍を入れるつもりだった。なのに、結局は二人の戦いに、限界を超えて聖剣を振るう士郎の姿にただ黙って見入ってしまっている。 この戦いは、手出ししていいものではない。 戦士としての矜持など、魔術師である自分は持っていない。しかしこれは違うのだ。そういうものとはまた別の、一振りの剣に全ての想いを懸けた者同士のあまりにも尊い死闘。 だから、邪魔なんて出来ない。無粋な横槍で、この死闘を汚してはならない。 士郎はようやく掴もうとしているのだ。答えを、得ようとしているのだ。 そしてその答えは、きっと彼とは異なるもののはず。あの赤い背中に続くものとは違うのだと信じたい。 辛くても、苦しくても、不器用に、真っ直ぐに――今の士郎の姿は、まさしく自分が想い描いた衛宮士郎そのものだ。 だから憧れた。届かないものに、それでも挑み続ける彼の姿に。 がむしゃらだった士郎の動きが、徐々に見覚えのあるものへと変わっていく。 セイバー。美しき剣の騎士。 初めて目にした時、思わず見惚れた。自分に死の剣を向ける相手を、馬鹿馬鹿しくも心底美しいと思った。その姿が、今の士郎に重なる。 綺麗な、本当に綺麗な動き。 彼の動きは無骨で、荒いのに、素直にそう感じた。 「……頑張って、シロウ」 昨夜は冷静に士郎の敗北を告げたイリヤも、歯を食いしばってこの死闘を見守っていた。勝算は相変わらず皆無に近い。士郎がアサシンに勝つなど、万に一つもありえないことだ。それでも、今のイリヤは士郎の勝利を信じた。 士郎の想いは、真っ直ぐに彼が愛した彼女へと、そして勝利へと向けられている。ならば、勝てるはずだ。勝てない道理がない。 アサシンの斬撃で士郎のシャツが裂け、血が滲む。その身体は、既に数え切れない程の細かい裂傷だらけだ。 それでも、彼は怯まない。徐々に、本当に僅かにだが、一度の踏み込みでアサシンの結界に踏み込める距離が伸びてきている。あと一歩、ほんの一歩踏み込んで聖剣を振るうだけで、清流の侍に致命傷をくわえることが出来るかも知れないところまで。 イリヤが守りたかった、士郎の心。 血の繋がりはないはずなのに、誰よりも父に似た少年の心は、今、こんなにも力強い剣となって輝きを放っている。 だから勝てる、きっと勝てる。 弾け合う音が、二十五合目を数えた。 聖剣はまだ折れていない。曲がっていない。砕けていない。 イリヤの想いもまた、揺らがない。 アサシンの全身を、歓喜が駆けめぐった。 もどき六体との戦闘による消耗など、もはや関係がない。何故なら、この戦いは互いが剣に想い描いたものの激突。 認めよう。衛宮士郎は強敵だ。歓迎すべき最強の剣だ。 その力は、バーサーカーには及ばない。 その速度は、ランサーには届かない。 人間。あくまで人間。しかし、己の限界を超え、必死に立ち向かってくる人間だからこそ、こんなにも全身が喜びに奮い立つ。心が高揚する。 自分もかつてはそうだった。 魔術、呪術の素養など無い。ただひたすらに剣に打ち込んだ。 想いの全てを剣に注ぎ、限界を超えて磨き鍛えた。 聖杯戦争の折り、英雄達との戦いは、胸躍る素晴らしいものだった。だが、それでも今の衛宮士郎の剣戟はそれに勝る。 セイバーに重なる荒削りな動きが、懸命に、懸命に聖剣を振るう。彼女との決着に対する未練が、みるみる埋め合わせられていく。 我が主、老魔術師よ。あなたにはわかるまい。遠い時代に、その胸に抱いた想いを置き忘れてきた老人には、この一撃一撃がどれだけ尊く、美しいものであるかなどわかるはずがない。 この戦いにこそ、清流の侍が渇望し続けたものが確かにある。 「ならばこそ、こちらも全力をもって応えよう!」 アサシンの剣も、さらにその速度と威力を増していく。袈裟懸けから振り上げ、さらに真横一閃に薙ぐ。 「う、くぅ、ぬぅあああッ!」 それらを必死に捌きながら、しかし士郎は前に出ることをやめようとはしない。 「っえぇええい!」 アサシンらしからぬ咆吼。裂帛の気合いでもって繰り出された今までで最大の斬撃を受けて、ついに聖剣が三十合目で砕け散る。 「がぁッ!!」 それと同時に、士郎の身体も後方へと勢いよく弾き飛ばされた。そのまま地面へと倒れ込みそうになるのを、なんとか踏み止まって堪える。 満身創痍。 士郎の身体は、もはや内も外もボロボロだ。 一方、アサシンの方には疲労すら見えない。その顔には相も変わらぬ微笑をたたえ、いつも通りの流れるような自然体で、悠然とたたずんでいる。 「……そろそろ、か」 呟いて、アサシンは愛刀をゆっくりと肩の高さまで持ち上げ、両手で持ったそれを顔の側まで引き寄せ身体を捻ると、丁度士郎に背を見せるような体勢に落ち着いた。 「決着をつけよう、衛宮」 そう言って、アサシンはニヤリ、と笑った。
凛も、イリヤも、息を呑む。 喉の奥に込み上げる、血だか胃液だかを思い切り飲み下し、士郎もその構えに見入った。背中を、ひんやりと冷たい汗が流れる。 昨夜も見た、奇妙な構え。 そこから繰り出されるのはアサシン最大の秘剣、燕返し。 風を読み、空を自在に舞う飛燕をも容易く斬って落とす、伝説の魔剣。生涯を剣に捧げ、一振りの剣そのものとして生きた男が手に入れた究極の一。 昨夜はアヴァロンを投影することで事なきをえたが、本来、あの剣は完全なる不可避の技。いかに聖剣の投影レベルが上がろうとも、それでどうにかなるものではない。 だが、それでも。 「……俺の剣は、最強だ。そうだろう?」 剣になる。衛宮士郎の剣になると、そう誓ってくれた彼女はまさしく最強。 アサシンの剣がいかに強力であろうとも、負けるはずがない。 引き裂けそうな筋肉の繊維、その一本一本に気力を注入。 汗を拭って、大きく息をつく。 四肢に力を込め、右手の中の貴聖石を砕けろとばかりに握り締める。 そして、イメージ。 衛宮士郎に出来ること。“剣製”、ただそれだけに特化した魔術回路たるこの身に出来ることは、イメージすることのみ。即ち、勝利せしめるものを。相手を凌駕し、自らに勝利をもたらすことの出来る剣をイメージする、それしか出来ない。 勝てないのなら、勝てるものを考えろ。 まさしくその通りだ。しかも、その答えは至極簡単。 息を吐く。 丘をイメージする。 彼女が立つ丘を。 全ては遠き場所。黄金の丘、ただそれだけを心象とし、想い描く。 限界を超えて悲鳴を上げ続けている魔術回路がこの魔術行使に耐えられるかどうかなど、ほんの些細な問題だ。 どちらにせよ、これで最後。限界を気にする必要などもはや無い。 だから、後のことは簡単だった。 漏れ出すイメージをただ言葉にして紡げばいい。それだけの、ことだったから。 「……士郎」 「……シロウ」 二人の視線の先で、士郎は立っているのもやっとに見えた。 呼吸は荒く、顔色も死人のよう。いかに膨大な魔力が蓄積された貴聖石を用いようとも、彼の身体は魔術師としては未熟極まりないのだから、これは当然の結果だった。 その時。 微かに風が揺れた気がした。 この大空洞の中はほぼ無風、そんなことはあるはずがないのに。 「リン、見て」 イリヤの手が、凛のスカートの裾を引っ張る。 しかし、言われなくとも見ている先は同じだ。 衛宮士郎。傷だらけの彼を中心に、魔力が異常な程に高まっている。 これまでの投影の比ではない。貴聖石から貪欲に魔力を吸い上げながら、しかし不思議なことに周囲に異変は感じられない。 魔術とは、世界に働きかけるもの。 あれだけの魔力を持ってなす魔術が、しかしこの世界に異変をもたらさない。 理由は、明白。 凛も、イリヤも、それが何故かはわかっている。 彼は使うつもりなのだ。彼の、真の魔術を。この世界ではなく、全く別の、新たな世界をひらく大禁呪を。 小さく、ゆっくりと開かれる唇が、どんな言葉を唱えるのかも、わかる。 夢に見た。 記憶を得た。 だから、その呪文を理解した。
「……ふむ。如何なる魔術かは知らぬが……覚悟は決まったようだな」 アサシンに動揺はない。 自らが編み出した最強の秘剣への自信は、けして揺らがない。 全ての想いを懸け、貫いて到達した究極。その勝利を疑う余地など無い。 微動だにせず、士郎の魔術の完成を待つ。
「風が、巻いてる」 イリヤの長い銀髪が、風に巻き上げられる。 大空洞に満ちていた淀み湿った空気を、清らかな風が洗い流していく。 光が、士郎の身体を覆っていた。 青くも見えるし、金色にも見える。それはとても温かい光で、目も眩むような目映さなのに瞳に心地良い。 今、彼の無意識はその既存内在世界を否定した。無限剣丘を排し、黄金の丘にたった一本だけ突き刺さった剣のみを強く想い描く。 無限に続く戦いに、無限の勝利など無意味。 自らを墓所と化すなど、そのような傲慢を許す暇があるのなら、一人でも多くを救ってみせよ。それが胸に誓った理想のはず。 必要なのは、常に一つきりの勝利を約束されたもの。 必要なのは、ただ、一振りの真実。儚くも確かな、最も尊き一。 必要なのは、ほんの小さな、一片の想い。
「……きゃっ!」 一際強い風が、自分達を囲うように疾るのに、凛とイリヤは身を屈めた。 荒々しくも優しく、清涼で温かい。 その風は、境界線であったのか。 そうして、風が過ぎ去った後には、世界は変容していた。 荒涼とした丘。そこに突き刺さる無限の剣の群れ。 「無限の……剣製……」 凛が咄嗟に呟いたそれは、あの赤い弓兵の宝具とも呼べるもの。 あらゆる“剣”と呼ばれる存在因子を内包した空間。彼の心象が織りなす、冷たい製鉄の世界。 だが――
衛宮士郎が最も美しいと感じたもの。最強と信じたもの。そして愛したもの。 荘厳にして華麗、その名に恥じぬ無敵無敗の聖剣。 自らの半身を鞘としたその剣は、『衛宮士郎の剣となる』と、そう誓ってくれた、まさしく彼女そのもの。どんなに離れようと、どんなに時が流れようと、しかし胸に誓った想いはけして色褪せはしない、たった一つの真実。 彼女の手を掴まなかったことは、間違いだったのかも知れない。自分は、理想のために一人の少女の想いを踏みにじったのかも知れない。それでも、貫くと決めた。貫きたいと思った。 未練もある。後悔もしている。しかしそれら全てを含め、愛している。 だから生きていこう。彼女への、ひたすらに真っ直ぐな一片の想いを抱いたまま。 故に、この世界は“無限の剣製”に非ず。 その、真名を……
「剣が……剣が消えていく――!」 凛とイリヤの周囲に突き刺さっていた剣が、次々と消滅していく。 グラムがあった。ハルペーがあった。世界中の伝説と伝承に名を残す、あらゆる剣があった。しかしてその因子がぼやけ、薄れ、消えていく。 「リン、空が……」 イリヤの見上げる向こう、赤く煤けた灰色の空が、次第に明るみを帯びる。 「……綺麗……」 黄昏の世界を、黄金の夜明けの輝きが照らし、荒涼とした丘に温かな空気が溢れていく。想いが……満ちていく。 風が、止んだ。 数えるのも馬鹿馬鹿しくなる程に並んでいた剣の墓標は、無くなっていた。 術者の心象が創り出す禁忌の世界、固有結界“無限の剣製”から全ての剣が喪失され、新たなる固有結界、“単一剣製”として再構築される。 そこは、優しい世界だった。 澄んだ青のような金色。 まるで彼女の微笑みに触れているかのような感覚に、イリヤは知らず涙していた。凛は胸に手を当て、何度も、何度も頷いていた。 凛の意識の中で、赤い背中が遠ざかっていく。 その時、彼が振り向いた。 凛は彼のそんな顔を見たことはない。だが、それでも確かに視えたのだ。 屈託もなく微笑む、赤い弓兵――英霊エミヤの笑顔が。
丘の上。士郎は、アサシンと向き合っていた。 そのすぐ傍らには、ただ一振りの剣とその鞘がある。 「……美しいな」 アサシンは、そう言って嘆息した。 この世界が、今の士郎の心象であることはわかる。 少年の目は、真っ直ぐに自分を見据えていた。自分を偽り、塗り固めていたあの晩とはまるで別人のようだ。 その瞳に宿るのは、誓い、理想、信念、夢。そしてそれらの中心に息づく、一片の想い。強く、とても強く一つのことを想う、そんな瞳。 剣は完成していた。 想いという名の芯鉄を、数々の皮鉄で包み込み、今、衛宮士郎は折れず、曲がらぬ、一振りの剣として、確かに完成していた。 士郎の手が、ゆっくりと聖剣を引き抜く。 瞬間、その身体から吹き上がる黄金の奔流。聖剣は、刀身から鈍く、青い光を静かに発していた。 大上段に、聖剣を振りかぶる。 技を放つタイミングは、同時。互いに申し合わせたわけでもないのに、だがそれは相手も必ず応じるだろうという確信であった。 じっくりと、お互いを見やる。 好ましい相手だった。尊敬に値する、しかし敵だった。 もはや語るべき言葉はない。 全力で、剣を振るう。その果てに、勝利を掴む。 どちらが先に、ということもない。同時。まさしく同時に、その身体は動いていた。 そして、世界は眩い光に包まれた。 |
〜to be Continued〜 |